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Pennywise ’90年代を代表する南カリフォルニアのパンク・バンドの生まれ育ったカルチャー

南カリフォルニア、サウスベイのハーモサ・ビーチ出身のバンド、ペニーワイズ。

’90年代にエピタフ・レコードを軸に、先輩バンドのバッド・レリジョン、同世代のオフスプリング、NOFX、ランシドたちとともに、当時の新たなパンク・ロックのムーブメントを牽引したバンドだ。その中でもペニーワイズはいわゆるメロディック・パンクの中でもハードコア寄りのサウンド、ポジティヴなライフと反権力のメッセージ、サーファーやスケーターたちのコミュニティからの圧倒的な支持という、独自のスタンスで活動をしていた。2025年3月30・31日のPUNKSPRING出演のために来日したバンドのギタリスト、フレッチャー・ドラッギーに話を聞いた。



SRHのパーティで来た1995年の初来日


SiiiCK ちょうど今回の来日のタイミングで、1995年の初来日のことをインスタグラムに投稿しましたよね。


フレッチャー・ドラッギー 最初のツアーは最高だった。SRHのパーティで来たんだ。あの時はBBガンにハマったね。店で子供と一緒にBBガンで遊んだよ。空港では銃だと思われて調べられたけど、問題はなかった。ウェイブプールにも行ったよな。タトゥーを見せちゃいけないって言われて、服を着たままサーフィンをやった(笑)。亡くなったジェイソン(・サースク)も一緒だった。


SiiiCK その時のツアーマネージャーのMAXは?


フレッチャー サーフショップをやってたけど、マッサージ師になって、ハワイに行ったよ。


SiiiCK 当時、SRHとの関係はどういう感じでした?


フレッチャー SRHは俺たちの最初のアパレルのスポンサーだった。SRHのライアン・ホワイトとケヴィン・ジンガーはこの前もライヴに来てくれたよ。ライアンは当時パーティ・プロモーターで、ライアンのパーティに行くと、1000人以上入るディスコが会場で、スゴいクレイジーでカオスなパーティをやってた。ライアンとはそこから付き合いが始まったんだ。VOLCOMよりも前の話だよ。それでライアンがSRHのパーティを日本でやるから、ペニーワイズを連れて行きたいってなって、MAXも連れて行ったんだ。ライヴ前の車の事故、覚えてる? クレイジーだったよな。ケヴィンは今ではサブライムのマネージメントをやってるよ。SRHはルーツだし、リアルだ。VOLCOMもライアン・イメガートが友達で、服をくれてたけど、俺のサイズには合わなかった。VOLCOMのイベントではノーギャラでライヴもやったよ。5000人も入ったんだ。だけど、もらえたのはサイズの小さなTシャツだった。だから一度自分でTシャツを作ってみた(笑)。Tシャツ工場に行って、VOLCOMのマークを使って、自分でプリントして、自分のサイズのTシャツを作ったんだ。200ドルかかったよ(笑)。SRHは今もファミリーだ。お金じゃないし、コミュニティなんだ。ライアンもジンガーも今も友達だし、俺の家にも遊びに来るし、ライヴにも来て、ハングアウトして、楽しむし、ファンのこともちゃんと考えてる。そういうのはペニーワイズのやり方でもある。欲を出して、Tシャツを100ドルにしたり、ライヴのチケットが300ドル以上したりするのは違うと思うんだ。


SiiiCK そう言えば、昔アラスカのツアー中、マーク・ホッパスをパンツ一丁にして、目にタバスコをかけたことがありましたよね。


フレッチャー 雪の中に放り込んだね。マークは癌から立ち直って本当に良かったよ。ブリンク182の三人が再び戻って一緒にやってるのもうれしい。でもペニーワイズとはマインドセットが違うと思うんだ。俺たちは常にパーティを提供するし、ファンよりも目線を上にすることもない。ファンとは同等だと思ってるから。だからTシャツもチケットも高くしたりはしない。生計を立てていくのも大切だけど、そんなにお金が欲しいのかなって思うんだ。

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フレッチャー・ドラッギー ©PUNKSPRING All Rights Reserved.



1980年代の南カリフォルニア


SiiiCK 今一度パンク・ロックについて聞きたいことがあります。地元のサウスベイにはブラック・フラッグ、サークル・ジャークス、ディセンデンツのようなバンドがいたわけですが、そういう前の世代のバンドに影響を受けつつも、自分たち、あるいは自分たち世代として、どのようなパンクをやろうと思いました?


フレッチャー 地元がサウスベイというのもあって、スケートボードは3歳の時からやってた。ボディボード、サーフィンもやってたし、スケートはバックヤードのプールでも滑ってた。プールスケートはトニー・アルヴァ、ジェイ・アダムスからの影響だね。朝起きるとサーフィンをやって、昼はスケートして、夕方はまたサーフィンする。それが俺たちの毎日だった。そこにパンク・ロックが登場したわけだ。スケートしてる時のサウンドトラックは突如変わったよ。デュエイン・ピータースは雑誌「Skateboarder」でセックス・ピストルズの話をしてたし、ジェイ・アダムスはブラック・フラッグの話をしてた。サウスベイにはThe Lastというパンク・バンドがいたんだけど、彼らはイギリスに行って、セックス・ピストルズと出会って、ピストルズのカセットテープを持ち帰ってきたんだ。俺がそれを聴いた時は、音が悪かったし、あまり好きにはなれなくて。ヴァイブスを感じられなかったんだ。それで地元のレコード屋に行った時、デッド・ケネディーズのシングル「Holiday in Cambodia」を見つけて買うことにしたんだ。それで、家に帰って聴いたらヤバくてね。そこからは早かったよ。ブラック・フラッグはハーモサ・ビーチの出身で、近所の教会で練習をやってたし、サークル・ジャークスもハーモサ・ビーチの出身だし、Redd KrossもToxic Shockもいた。ディセンデンツはビーチのパーティで一緒だったし、ハイスクールでライヴもやってた。バンドのリリックも俺にはピッタリだった。規則なんて好きじゃないし、社会で当たり前とされてることも好きじゃない。すべてに対して気に入らないことがあって、ちゃんと自分の気持ちを歌ってる。政府もファックだし、警察もファックなんだ。俺もその通りだと思ったよ。俺自身、学校や社会の中でトラブルばかり起こしてたからね。だから俺もこれになりたいと思ったんだ。それで’81年にバンドを始めた。自宅のガレージで親父のステレオにギターのプラグをぶち込んで、曲も作り始めたよ。「明日は俺の誕生日。だけどプレゼントをたくさん持ってくるな」とか歌って(笑)。そこからの毎日は、朝のサーフィン、昼のスケート、夜はサーフィンの後、ビールを盗んで、ハリウッドにAdolescents、T.S.O.L.、ブラック・フラッグを観に行くようになった。俺が受けた影響はシンプルだよ。まず、ディセンデンツとブラック・フラッグ。ブラック・フラッグのグレッグ・ギンのギターからは大きな影響を受けた。Adolescentsのブルー・アルバムも、T.S.O.L.もそうだ。俺の最初のタトゥーはT.S.O.L.のベースのマイク・ローチが入れてるくらいだ。キース・モリスも「FLAG」って彫ってくれてる。だからいろいろミックスしてるんだ。オレンジ・カウンティ、サウスベイ、デッド・ケネディーズ、そこにマイナー・スレットも加わってくる。マイナー・スレットは’82年にハマったよ。最初のシングルを聴いた時は衝撃だった。今でもあれが最高のレコードだと思うね。車で爆音でかけて、ビールを飲み始めたら、もう止まらないんだ。ピュアなエネルギーがそこにはあるから。俺はギターを弾いてたから、ブラック・フラッグのギター・サウンドをマイナー・スレットのスピードで弾きたいと思った。俺の昔のバンド、Con 800を知ってるよね? ’81年だ。アグレッシヴで、ブラック・フラッグよりも速いんだけど、ブラック・フラッグっぽいところもある。マイナー・スレットはストレート・エッジだったけど、俺たちはパーティが大好きだった。マイナー・スレットが歌う、より良い人生を送ること、良いことにトライするというリリックも好きなんだよ。ただ、ストレート・エッジという考え方は好きじゃなかった。でも、’85年になると、パンクの時代は終わりを迎えるんだ。

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©PUNKSPRING All Rights Reserved.



パンク・ロック冬の時代と’90年代のブレイク


SiiiCK 当時多くのバンドはメタルに転向するなど、音楽性を変えましたからね。


フレッチャー ちょうど昨日もブライアン・ベイカーと話したよ。彼がJunkyardというバンドをやってた時に、Cathouseで見かけたことがあって。俺のマイナー・スレットのヒーローなのに、バックステージでカウボーイ・ハットをかぶってLone Star Beerを飲んでたんだ! 俺はそこに入っていくと、ブライアンは「What’s up」って言ってきたよ。俺はLAでやったマイナー・スレットのライヴは最初から全部観に行ってたけど、彼は俺を知らない。俺はブライアンに「恥を知れ。マザーファッカー」って言って、立ち去ったね。そんな感じで、当時はパンクの時代が終わって、クラブにもパンク・バンドが出なくなった。すべてが終わった時に、立ち上がって、新しいリアルシットをやらなきゃって思ったよ。それでジェイソンと話して、ペニーワイズのビジョンについて語り合ったんだ。みんなが平等であるべきだとか、民主主義のこととか、今こそパンク・ロックをやるべきだとか、そういう話だ。その時の4時間のミーティングで二人が飲んだビールは、それぞれ20杯だけだったんだけどね(笑)。それで、すでにパンクのショーはほとんどなかったから、自分たちでショーをバックヤードで始めることにした。みんなを呼んで、50ドルでビールを1樽買って、無料で出したんだ。20人いた客が50人、70人、200人、300人と増えていって、最後の方は1000人になった。ライヴもどんどんクレイジーになって、ケンカも起きるし、警察も来るようになった。それで「今夜ペニーワイズのライヴがある」というのが噂になって、どんどん広がって、ハリウッドでもショーをやれることになった。ナイトクラブのMadame Wongでやった時は200人集まって、このバンドは何者だ?って話題になったよ。それで最初のブルー・レコードをエピタフから出した時、リリース・パーティをWhisky a Go Goでやったんだ。3ドルとか5ドルのチケットを300枚売らなきゃいけないって言われて、俺たちはチケットを10ドルにして、400枚売った。それで2000ドルを稼いだんだ。Whisky a Go Goはペニーワイズが何者なのかをわかってなくて。ライヴが始まった途端にヤバいモッシュピットになるわけだ。サモア人のセキュリティはパンクスたちに攻撃されたから、警察を呼んだよ。警察はWhisky a Go Goのドアを開けて入ってきたんだ。俺は「Bro Hymn」のプレイ中に観客に向かってダイブして、ジムがその上に乗っかってきた。それでWhisky a Go Goは永遠にパンク禁止になったんだ。Whisky a Go Go、Roxy、Troubadour、すべてのクラブでパンクが禁止になった。Whisky a Go Goが言うには、RoxyとTroubadourがOKなら、演奏してもいいとのことだ。いつの日かサンセット・ストリップを独占したいよな(笑)。


SiiiCK サンセット・ストリップからbanされたわけですね(笑)。


フレッチャー だから、ペニーワイズは面白いことをやる必要性があって生まれたバンドなんだよ。パンク・ロックは死んでたから。俺たちは新しい波を作って、エピタフとレコード契約をして、すべてがどんどん変わっていったんだ。ある意味、バッド・レリジョンのアルバム『Suffer』がすべてを変えたと思う。NOFX、ランシド、オフスプリング、Instedも出てきて、良い時代になったんだ。それで世界中が、これは何だ?ってなったんだよ。スウェーデン、ドイツからもバンドが出てきたし、日本からもHi-STANDARD、ENGRAVEが出てきた。とんでもない時代だったと思うよ。あの時代のようなことはもう起きないだろうね。あれは、1980年代にその場にいて自分で感じないとわからないことだから。家を出て通りに出て、警察に止められてボコボコにされたり、フットボールをやってるヤツらに「ファゴット」と呼ばれてケンカを売られたり、パーティに行って誰にも相手にされなかったり。そこで感じた反逆精神みたいなものは、俺たちにとってはスゴく重要なものだった。それで、核戦争とレーガン大統領についても語り合ったし、気に入らないことを声を大にして叫んで、時速200マイルのスピードで演奏したんだ。気に入らなければそれでもOK。今ではすべてが商業化されてしまったけれど、誰かがそれをやろうと思ってそうなったわけじゃなくて、自然とそうなっただけなんだ。今でもたくさんの人がショーに来てくれて、みんなが楽しい時間を過ごしてるのは素晴らしいことだよ。今日も客の中に若い子たちもたくさんいたのを見たからね。今の子たちがこの音楽を楽しんでくれて、背景にある意味を理解してくれたら、少しは良い世界になると思うから。

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©PUNKSPRING All Rights Reserved.



新世代のファン、NOFXの解散、ニュー・アルバム


SiiiCK 今日見かけた10代の子たちにしても、親が’90年代に雑誌Fineの読者だったり、ペニーワイズを聴いていたりすることが多いですからね。


フレッチャー この前もフィラデルフィアでファンから声をかけられて、「ペニーワイズを25年間聴いてるよ」って言われたよ。歳を聞いたら45歳で、息子と娘をショーに連れてきてたんだ。その子たちは生まれてからずっとペニーワイズを聴いてるし、ペニーワイズのファンなんだよ。これってスゴくクールじゃない? パンク・ロックは名声とかお金とか女性にモテるとか、そういうのじゃなくて、リアルな問題を扱ってるんだ。ギャングスタ・ラップと同じで、リアルな問題なんだよ。その音楽でどれだけ自分の人生が変わるか、どれだけこの世界が変わるかが重要なんだ。自分だって戦える、自分の声だって届く、そういうことを言ってるんだ。ジムが書いた「Society」、「Fuck Authority」のリリックを子供たちが理解してくれたら、それは大きなことなんだ。


SiiiCK 今日のライヴでは、NOFXの曲「Bob」、「Kill All the White Man」、「The Brews」をメドレーでプレイしましたよね。NOFXの解散についてはどう思っています?


フレッチャー 最悪だと思ったね。スレイヤーとかみたいに、解散してから5年後に再結成ライヴとかがあればいいんだけど、ファット・マイクは決してやらないだろう。NOFXは同世代のバンドだし、嘘のないバンドだ。ファット・マイクは俺からすると一番パンクな男なんだ。彼は周りのことなんて全く気にしないし、彼のことを気に入らなければそれで構わない。彼のことを嫌いな人だっているよ。それでも彼は自分のやりたいことだけをやってる。それってパンクなんだよ。最悪だと思ったのは、NOFXは最高のバンドだし、最高の友達だし、同じパーティ好きだから一緒にツアーをするのが楽しみなバンドだったからだ。今回のPUNKSPRINGは、セックス・ピストルズにしたって、バッド・レリジョンにしたって、パーティなんてしないからね(笑)。


SiiiCK ニュー・アルバムを作る予定はあります?


フレッチャー 曲はたくさんあるよ。毎日作ってる。ただ、メンバー全員でまとめて、歌を乗せるのは大変なことなんだ。前のアルバムの時も、最初は俺が全部リリックを書いたんだけど、プリプロの最後の日になって、ジムがスタジオで、「俺にもアイデアがある」と言って、いきなり歌い始めたんだ。それを聴いた時は「ファック・イエア!!」ってなったね。俺が書いたものよりもはるかに良かったから。だからまあ、アルバムはいずれ出すと思うよ。


「Violence Never Ending」


「Fuck Authority」


「Same Old Story」



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