2025年8月22日、TRUNK(HOTEL)にて、日本では初開催となる彼のソロ写真展『ANALOG VISION: PHOTOGRAPHY BY ERIC COLEMAN / A ONE NIGHT EXHIBITION IN TOKYO 2025』が開催された。ヒップホップ史上に残る名盤『Madvillainy』のアルバムカバーを飾ったMF Doomのポートレート作品を始め、MadvillainやJ Dillaなど、ヒップホップの歴史を語る上で重要な作品を数多く展示。エリック・コールマンはフォトグラファーとして活躍するだけでなく、ダミアン・マーリーなど世界的なアーティストのMVの撮影監督を手がけるビデオグラファー、さらにはビートメイカー、DJとしても活躍。同じくフォトグラファー/ビデオグラファーとして活躍するB+(ビープラス)とともにプロダクション・カンバニー「Mochilla」を設立し、ドキュメンタリー作品『Keepintime』、『Brasilintime』、『Timeless』では、ヒップホップ、ファンク、ジャズ、ブラジル音楽など様々なジャンルを融合させ、映像作品の枠を超えるアートムーブメントして大きな話題を呼ぶことになった。エリックとは30年来の友人ということもあり、いろいろな話を聞かせてもらうことになった。
クラブ「Firecracker」と写真のバックグラウンド
SiiiCK 初めて会った時、すでにDJをやっていましたよね。部屋にはターンテーブルが1台しかなかったですけど(笑)。
エリック (笑)DJは少しやってたよ。そうだね、いつ会ったんだっけ? 1994年だったよね。僕が主催してたクラブ、Firecrackerは1996年に始まったんだ。そこから14年間クラブをやったんだ。かなり成功したパーティになった。
SiiiCK Firecrackerを始めたきっかけは?
エリック Firecrackerを始めたのは、僕がDJたちにオファーしたのがきっかけなんだ。「僕がオープニングでDJをやってもいい?」って聞いたら断られたんだよ。「どうかな……いや、ダメだ」とか。みんな、No、No、No、Noなんだ。そこで僕は思ったよ。「これってクソだな」って。しかも友達からは「何で自分たちでやらないんだ?」って言われるんだ。それで自分たちでクラブを始めたんだよ。みんなからNoと言われて、決して怒ってたわけではなかったけど、自分のことは自分でやらなきゃって思ったんだ。そしたら、Noと言ってた人たちの想像を超えて、僕たちのクラブはどんどん良くなっていった。そんな風にして、Firecrackerは当時LAで最高のクラブになったんだよ。
SiiiCK 客はどのように増えていったんですか?
エリック 最初はスケーター、つまりスケートボードをしてるヤツらがほとんどだった。そこから友達が別の友達に教えて、さらに別の友達に教えるという感じで広がっていった。それに、インクルーシヴな場所だったんだよ。黒人、白人、ラテン系、アジア系、日本人、中国人……みんなが来てた。クラブに行くと自分のホームだなって思えたんだよ。リビングルームにいるみたいな感じなんだ。みんなエゴもないし、態度も偉そうじゃない。誰もがファミリーみたいなヴァイブスだった。そのイベントを毎月、第1、第3、第5金曜日にやってたんだ。この前もロサンゼルス空港で、「エリック・コールマンさん?」って、フルネームで声をかけられたよ。年配の黒人男性で、娘さんが一緒だった。「彼は本物のDJだ。人生を変えてくれたんだ」って言われたんだ。実際、僕はよくそういうことを言われる。お金はあまり稼がなかったけれど、多くの変化を生み出した。変化を生み出すってことは、つまり社会的価値を生むことなんだ。良い時間を共有して、愛や経験を分かち合って、人々に当たり前に楽しい気持ちを感じさせることなんだ。Firecrackerのことは時々思い出すけど、あまり恋しいとは思ってない。正直言うと、今もFirecrackerの影響は見えるんだ。例えば、Firecrackerではいろいろ人を紹介して、そこからさらにパーティが生まれた。その中でDaddy Kevが自分のスタイルを作ったのが、Low End Theoryというパーティだ。そこにも僕の影響をまだ見ることができるんだ。影響と言うよりは、インパクトだね。大半の人は気づかないけど、気づいてる人がいるから、それで充分なんだ。僕はLAでは静かなアイコンだと言えるんじゃないかな。
SiiiCK エリックは写真の方でも大きなインパクトを与えていますからね。
エリック ここ日本でも、「あなたの写真で人生が変わった」と言われることがあるんだ。「本当に?」って思うけど、何度もそう言われるんだ。ブライアン(B+)と僕は時々、「何故こんなことをしてるんだろう」って思うこともある。理由はわかってるんだけど、何故やってるかのかを考えるんだ。誰かが「あなたの作品に救われた」と言ってくれる。それが理由だと思う。お金をもらえるのはうれしいけど、社会的価値の方がずっと大事なんだよ。
SiiiCK バイオグラフィを見たのですが、写真は12歳の頃からやってるんですよね。その年齢でカメラに興味を持ったんですか?
エリック 親父が趣味の人だったんだ。
SiiiCK お父さんの若い頃の写真はインスタで見ましたよ。めちゃくちゃカッコいいですね。
エリック アフロでイケてるよね。レニー・クラヴィッツが登場する前のレニー・クラヴィッツだ(笑)。1984年、LAでオリンピックが開催された年に、ママから誕生日に何が欲しいのか聞かれた時に、僕はカメラって答えたんだ。その理由は親父だ。親父は僕が1歳半の時に亡くなったんだけど、親父が撮影した何百枚もの写真は残ってたんだ。親父はヒッピーだったから、音楽と写真が大好きで、アメリカ中を旅して写真に残してたんだ。僕は親父のことを写真を通して知ったし、僕の頭の中にずっと残ってたんだ。ハリウッド・ブルヴァードにあるカメラ屋で、ママから「どのカメラが欲しい?」って聞かれた時に、僕が「これ」って指したのがミノルタX-370で、フルマニュアルのカメラだった。ママが買ってくれたそのカメラで、僕はいろいろスナップ撮影を始めて、オリンピックの時には観客の後頭部を撮ってた。大学では医者になるための勉強をしたんだけど、合わなくてやめて。アートスクールに行った時にしっくり来たんだ。
SiiiCK 卒業後はいろいろな著名フォトグラファーのところでアシスタント修行をしたんですよね。
エリック ロバート・アルトマン、ピーター・リンドバーグ、ランキン(ジョン・ランキン・ワデル)、ミシェル・ハディ……いろんな人のところで働いたよ。当時は学ぶことがすべてだった。アートスクールに行く前から、僕はすでにアシスタントをやってたから、アートスクールで学ぶことは、すでに知ってることばかりだった。学校からは「もうここにいる必要はない」って言われたけど、「卒業証書が欲しいんだ」って僕は言った。でも結局はやめて、家に戻って、本格的に写真をやり始めることになる。写真は今でも全力で取り組んでるよ。今の写真は昔と同じじゃないからね。InstagramやiPhoneが出てきたことで、みんなの自己顕示欲が強くなってしまった。クラシックな写真は今では珍しいものだ。でも僕は今もマスターたちの本を買って学んでる。森山大道は大好きでインスピレーションをもらえるフォトグラファーだし、荒木経惟も好きな写真がある。リチャード・アヴェドンやジョージア・オキーフのように、愛があるからアートをやってる人たちもいる。写真は今やビジネスかもしれないけれど、元々は裕福な人たちの趣味なんだ。記憶を記録する……これが最も重要なんだよ。僕にとっても、「時」を記録するというのが一番重要だ。例えば、赤ちゃんの写真にしても、誰かが撮ってくれたから今も記憶があるわけだよね。もし写真がなかったら、記憶も残らないんだ。僕にとって、最も重要なのは音楽と写真で。映画もそこから生まれるんだけど、基本はこの二つなんだ。
J Dilla

アイコニックなMF Doomの写真
SiiiCK その場、その時に起こっていることを写真に捉えていると思いますが、そこにはエリックならではの目線とかアプローチもありますよね。
エリック Mochillaをやってた時、決めてたことがあるんだ。「何も変えないで撮る」、「その人が登場した時のそのままの姿を撮る」、「メイクや服装はそのままで撮る」。フォトグラファーの多くは光を変えたりするけれど、僕は変えない。ミックスライトを使うだけで、誠実さと真実を大事にするんだ。コンピューターでの加工は最小限。リアルな写真。これが僕のスタイルなんだよ。フォトショップは僕には向いていない。デジタル写真ばかりになった今も、フィルムのように扱ってる。バーッと何枚も撮ったりしないで、1枚ずつていねいに撮る。デジタルで1万枚撮ってしまうやり方は、僕は教わってないからね。歴史上、革命的な考えとか問題意識というのは、写真を通して人々に伝わっていったんだ。写真は視覚メディアとして、世界で最も重要な手段なんだよ。
SiiiCK エリックの写真の中で、Dam-FunkとRas Gの写真はまた違う感じで、ライティングが独特でカッコいいんですよね。
エリック アシスタント時代にライティングは学んだからね。大好きなフォトグラファーのライティング技術は、その時に吸収したものだ。でも僕がライティングを使うのは珍しいことだ。Dam-Funkの写真に関しては、僕にはすでにアイデアがあった。「君はLAのこの地域の出身だろ? 昔の生活があるけど、今は新しい生活がある。それを赤と青で組み合わせて撮ってみよう」って言ったんだ。Dam-Funkはギャングのような話し方をしてたからね。赤と青はブラッズとクリップスを意味する。それで夜、僕のガレージで撮影したんだけど、「俺を信用してくれ」って言って。あとは歴史が物語ってるよ。僕は最高のアーティストの最高のアルバム・ジャケットを撮ることができたわけだ。僕は音楽アーティストに向かって、演奏をこうしろなんて言わない。だから、写真をこう撮れとは言われたくないんだ。僕の仕事に余計な口出しをするなってことだね。みんな自分が得意なことに集中すればいいから。ほとんどのアーティストは自分が何をしたいのかがすでに頭の中にある。でも実際には、完全にはわかっていないことも多いんだよ。僕はそれを形にするんだ。僕はスゴくラッキーだし、これまで長い旅をしてきた。まだ道半ばだけど、たくさんのことを経験してきたんだ。
Dam-Funk

Ras G

SiiiCK エリックの撮影したMF Doomは非常にアイコニックな写真で、広く知られていますよね。どのような撮影だったのですか?
エリック MF Doomはよく言ってたよ。「コールマン、おまえは俺の魂を奪った」って。「魂を返してくれ」って言われたから、僕は「うん、写真を通して君の魂を受け取ったよ」って答えたんだ。でもね、撮影時間はわずか5分だけだったんだ。フィルムもたくさん用意して行ったのに。ジェフ・ジャンク(アルバム・ジャケットのアートクリエイター)から電話があって、「家に行って撮影してくれ」って言われたんだ。「MF Doomか?」、「もちろん」。それですぐに準備したんだ。カメラを持って、フィルムを持って、アイデアを考えて、MF Doomを迎えに行ってドライブしようと思ったんだ。そしたら彼は「家から出ない」って言うんだ。「ここで撮影していいか?」って言われたから、「OK、やるよ」ってなったけど、普通の家だから、どうしたらいい?ってなったよ。家のバルコニーには5フィート幅の白い壁があったから、それを使うことにした。フィルム5本は撮ったのかな。「これで終わり」って言われて、マジか?ってなったよ。家を去る時、何も撮れなかったなと思ってた。MF Doomに会えたのはうれしかったけど、仕事がちゃんとできなかったから悲しいものがあったんだ。でも、写真というのは上がりを見ないとわからないものだ。ラボでプリントを見た時、「これだ!」ってなったよ。あとは歴史が物語ってる。この写真は自分の代表作になった。撮れて良かったと思ってるし、感謝もしてる。僕はいつだってアートの周りにいたかった。でも裏方なんだ。写真ってそういうものだよ。有名なフォトグラファーじゃない限り、誰がその写真を撮ったかなんてほとんど知られてない。例えばモハメド・アリの有名な写真。あれを誰が撮ったかなんて、誰も知らないよね。ただイメージだけが残ってるんだ。だけどまあ僕はやれて良かった。でもやっぱり一番誇りに思ってるのは、30年にわたってやってきた仕事になる。本当に幸せ者だよ。そして今では映像、ビデオ、ドキュメンタリーとかの編集をたくさんやってる。写真からはちょっと離れつつあるんだ。でもこれは僕にとって自然な進化なんだ。
MF Doom

SiiiCK そう言えば、以前Soulectionの取材をやった時、ジョー・ケイはエリックのことをメンターだと話していましたよ。
エリック うれしいね。ジョー・ケイのことは、他の人たちと同じで、ただ助けたいから助けてただけだ。そこには理由なんてない。僕のママのアシスタントをやってた女性がいて、その息子の親友がジョー・ケイだった。彼が音楽をやってて、マッドリブが好きだって言うから、「俺のクラブに来る? ママに行っていいかどうか聞いてきなよ」って言ったら、本当に来たんだ。それが始まりだ。今やジョー・ケイはフォトグラファーであり、DJでもあるから、同じ愛を共有してたんだよね。彼の最初のオフィスは僕のビルの中にあった。これも愛が理由だ。
B+との出会い、日本、進行中のプロジェクト
SiiiCK 映像の世界に行ったきっかけは何だったんですか?
エリック B+だよ。ブライアンとの出会いも面白いんだ。ブライアンとは共通の友達が多くて、「ブライアンに会った方がいい」ってよく言われてたんだ。ちょうどマリナ・デル・レイでパーティがあって。そこに背の高い白人の男がいたんだ。きっとB+だと思って、「B+か?」って話しかけたら、「誰だ?」って言われて、「コールマン」って答えたら、「話には聞いてるよ」って言うんだ。最初の出会いの時に、「助けが必要か?」って聞いたら、実際に助けが必要だった。その後3時間、二人でずっと写真の話をしてたよ。しかも僕たちはシルヴァーレイクの近所に住んでた。翌日にはブライアンの家を訪ねて、次の日から何日も何日も彼の家に通った。それが25~26年前の話だね。そこから撮影や映像の仕事が始まったんだよ。それで、『Keepintime』の撮影をやらないかって言われて。「OK!」って答えたんだ。
SiiiCK それが映像の仕事の始まりですか?
エリック それが始まりだ。最初に使ったカメラはCanonのXL-1で、白い掃除機みたいな形だった。
SiiiCK B+とは、1997年にともにプロダクション・カンパニー「Mochilla」を設立しましたよね。
エリック そうそう、メキシコで始まったんだ。Mochillaの名前が出てきたのもメキシコだった。ブライアンがあるDJのビデオを撮ることになって、僕たちはみんなバックパックを背負ってた。ヒップホップのバックパッカーってヤツさ。当時、映像に関しては、「照明を変えちゃいけない」、「ありのままを撮らなきゃいけない」っていうマントラがあった。僕たちはそれがスゴく気に入ってたから、自分たちのルールを「バックパックに入らない機材は使わない」ってことにしたんだ。バックパックのことをスペイン語で「mochila」って言うから、「Mochila」にしようってなって。さらに、「“L” を1個足そうよ。LAって意味で」って言って、「Mochilla」になった。それが始まりなんだ。
SiiiCK エリックは自分のプロダクション会社もやっていますよね。
エリック 編集とか映像制作とか、写真に近いところでやってる。「Colelab(コールラブ)」って言うんだ。別の名前も考えてたんだけど、税理士から「響きが良くない」って言われたんだ。「自分の名前を取り入れた方がいい」って言うから、その場でColelabを思いついたんだ。
SiiiCK 最近の話も聞きたいのですが、今年2025年6月にはドクター・ドレーのヒット曲を30人編成のオーケストラで演奏するイベント『CALIFORNIA LOVE: An Orchestral Celebration of Dr. Dre』が、ColelabとMochillaの共同開催で大成功を収めましたね。
エリック 5000人のイベントになったね。会場はLAのGrand Performancesだった。このイベントは10年前にパブロと一緒にやったもので、1年前に再び話が来たんだ。去年パブロはメキシコにいたから、代わりに僕がやることになった。友達のキャニオンがカメラを持ってきて、「この場所でどう見せたい?」って聞いてきたから、僕は正直に「ここでLAを見たい。ここでLAを感じたい」って答えたんだ。その1年後、ほぼ同じ日にイベントは実現した。これは愛から生まれたプロジェクトで、友達を助けたかっただけなんだ。これは『Timeless』から受けたアイデアがあって、ブライアンのアイデアでもあったけど、僕も自分のアイデアを持ち込んだ。10年前は入場料を取ったけど、今回は無料にしたかった。誰もが来れて、ただそこにいられるようなイベントにしたかったんだ。もちろんめちゃくちゃ緊張したよ。僕はいつも「誰も来ないんじゃないか」っていう恐怖を持ってる。それが僕の一番の恐怖だ。Firecrackerの時もそうだったし、いつもそうなんだ。50歳の誕生日パーティの時もそうだった。たった3日間しか宣伝してなかったからね。
CALIFORNIA LOVE: An Orchestral Celebration of Dr. Dre
SiiiCK 写真を見せてもらいましたが、めちゃくちゃたくさんの人が来ていましたね。
エリック Easy Mo Beeがハウスミュージックをプレイしてくれたんだよ。ジョー・ケイと僕もDJをやった。100人くらい来るのかなと思ってたら、実際には400人以上も来てくれた。あの時はエモい気持ちになったね。来てくれた人たちを見て、うれしくなって、自分がやってきたことは正しかったと感じたんだ。その夜、ある人たちから「コールマン、君の言葉で人生が変わった」って言われたよ。僕は「ただ正直に言っただけだ。もし気に入らなければ変えればいい」って答えた。僕は常に正直だし、必要なら変えてもいい。僕はグールーなんかじゃないしね。それで人々を助けられたら充分なんだよ。人々が助け合うことで世界は成り立ってるから。
SiiiCK そう言えば、今回の写真展は日本では初の開催なんですね。今後、日本とはどのような関係を築きたいと思っていますか?
エリック 日本ではもっといろいろやっていきたいね。才能のある人はたくさんいるから、一つ架け橋を作れば、どんどん架け橋は増えていくと思うんだ。日本は大好きだし、もっと自分を見せたいし、もっと日本人と仕事をしていきたい。日本のアーティストとも仕事をしたい。僕は自分の誕生日パーティでも、マイクでこう言ってる。「このパーティは僕のためだけじゃない。君たちのためだ」って。僕はいつも自分中心ではなく、みんなで楽しむことを大事にしてきたんだ。そう言えば、日本で手がけたビデオは、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDだけだったね。
NITRO MICROPHONE UNDERGROUND / Directed by B+
SiiiCK 現在進行中のプロジェクトは?
エリック Jamrockの10周年だ。10年の歴史をまとめるプロジェクトで、10月に予定されてて、僕も多くの写真や映像を担当してる。あと、この2年間で撮ったものの中には、エミー賞を受賞したものもあるんだ。僕は小さな存在かもしれないけど、関わった作品や影響力は大きいと思ってる。僕はお金に対する恐れはもうない。アートがすでにあるなら、お金はアートを続けるための手段だからね。僕は何年もかけてそれを学んだよ。最初は「ショービジネスだから」と思ってたけど、違ってたね。お金は作品を作り続けるために必要なものだ。僕は自信を持ってるけど、まだ学んでる最中だ。ずっと他人に頼らず、自分でやることが当たり前だったからね。でも今は、誰かに頼ることも学ばないといけない。自信はあるけど、完璧ではないんだ。僕は長年の仕事の中で、請求書をちゃんと出さなかったこともある(笑)。仕事をやること自体が喜びだったからだ。今では、笑顔で、健康で、素晴らしい友達がいれば、それが一番大事だと思ってる。僕は精神的には億万長者なんだ。銀行口座はそうじゃないけどね(笑)。
SiiiCK 最後に、日本の人たちに伝えたいことはありますか?
エリック 西洋の目線で見ると、日本には秩序があって、尊敬の気持ちがあって、清潔で、人々は礼儀正しい。僕はこの国が好きだし、こういう感覚を自分の国にも取り入れたいと思ってる。あと、サポートしてくれた人たちには感謝しかないね。そして、僕たちが長年作ってきたものを見てくれたことに対して、ありがとうと言いたい。
Wu-Tang Clan

Madvillain(MF Doom + Madlib)

APPLEBUM × Eric Coleman
写真展の開催に合わせて、東京発のクロージング・ブランド「APPLEBUM」から、Eric Colemanの写真作品をデザインソースとして落とし込んだコラボレーション・コレクションが発売中。
https://applebum.jp/collections/eric-coleman
Instagram: @applebum_tokyo
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Mochilla
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