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【連載】’90s TOKYOハードコア・ヒストリー VOL.1:1996年2月27日 THE CHOICE IS YOURS VOL.2 @新宿LOFT

’90年代から始まったTOKYO新世代ハードコアの歴史を追う連載。

NUMBのヴォーカル SENTA、NUMBのギター NATSUO、元STATE CRAFT、現Loyal To The Graveのギター Hiro、Loyal To The GraveのヴォーカルでBLOODAXE FESTIVALを主催するKobaの4人が、毎回トピックを決めて、そのトピックを中心に証言していくというスタイルがこの連載である。VOL.1となる今回は、この世代のバンドが一気に注目を集め、新たな時代の到来を感じさせることとなった、1996年2月27日、新宿LOFTで行われたイベント「THE CHOICE IS YOURS VOL.2」がトピック。このイベントに出演したのは、SWITCH STYLE、NUMB、TAKE THE LEAD、STATE CRAFT、CLINCHの5バンド。レギュラー4人に加えて、ゲストとして、元SWITCH STYLEのヴォーカル&ギター、現NUMB、DBXのギター YURIの証言も紹介する。



SWITCH STYLE / THE CHOICE IS YOURS VOL.2 1996.02.27


THE CHOICE IS YOURS VOL.2 終演後


1995年


SiiiCK それぞれのバンドはいつ結成ですか?


SENTA NUMBは’95年の結成で、この日は2回目のライヴだったよね。確か1回目はSUNDAY SCHOOL OF HARDKNOXだから。


Hiro STATE CRAFTは3回目のライヴでしたね。’95年の秋に結成して、1回目のライヴは1月3日で。2回目はBENCH WARMERと一緒のライヴで、ホッタは同じ大学なんです。


SENTA ホッタは前澤友作(SWITCH STYLEのドラム、YOU X SUCK)の同級生で、俺も一緒にカバー・バンドをやってました。


SiiiCK このイベントの主催者は?


NATSUO SWITCH STYLEとNUMBだよね。


SENTA そうなんだけど、イベント名は、実は何を隠そう、俺が決めました。ヒップホップのブラック・シープの曲から思いっきりパクりました。たぶんYURI(SWITCH STYLE)も好きだったので、ブラック・シープのこの曲でいいじゃんってなって、THE CHOICE IS YOURSというタイトルにしたのは覚えてます。


SiiiCK どういうイベントをやろうと考えたのですか?


SENTA 当時のニュースクールというか、この世代でやっと一つのライヴができるということで、始まったような気がしますね。


NATSUO あまりライヴをやってないバンドが集まったんです。


SiiiCK 2回目、3回目のライヴなのに、すでに自分たち世代のライヴを企画するのって、素晴らしいですね。


SENTA でもそれはCOCOBATとかDBXの影響もあったと思いますよ。旧LOFTでやってたライヴを観に行って、こういうところでライヴをやるんだっていうのを知りましたからね。その前のBLIND JUSTICE、HALF LIFEも僕たちの糧にはなってると思います。


SiiiCK そもそも自分たちでバンドをやろうと思った背景はどのような感じだったのですか?


Hiro それこそ17歳ぐらいからShino(元STATE CRAFT、現Loyal To The Grave)とかと、ハードコアのライヴに行きだして。最初にCOCOBATとかHELLCHILDを観て、SWITCH STYLEに出会って。洋楽のハードコアの感じを日本で出してるバンドを、カッコいいなと感じたんですよね。BLIND JUSTICEもそうなんですけど、USスタイルの日本のバンドでスゴく刺さったのがSWITCH STYLEで。お客さんとして、SUNDAY SCHOOL OF HARDKNOXにも行くようになって。(前澤)友作くんは当時ディストロも持ってきてたんです。僕はそこでカセットテープとか7インチを買ったりしましたね。それで初めてNUMBと知り合ったんです。


NATSUO SUNDAY SCHOOL OF HARDKNOXの階段だよね。


SENTA 王子3Dだね。


Hiro その時にNATSUOくんとSENTAくんを紹介してもらったんですけど、SWITCH STYLEがTHE CHOICE IS YOURSに出るという話はすでに決まっていて。自分のバンドのスタジオの録音音源をSWITCH STYLEのYURIくんに渡したんですよ。


SENTA 俺、それを聴かせてもらったことがある。スゴいカッコいいバンドが出てきたって言われたのが、STATE CRAFTでしたね。


Hiro 当時はシーンというものができる前の段階で。SWITCH STYLE、NUMB、SUNDAY SCHOOL OF HARDKNOXの人たちもそうですけど、仲間がたくさんいるっていう認識があって。自分はただの客だったので、どうにかその中に入りたいという気持ちがあって。それでSWITCH STYLEの人にテープを渡して。THE CHOICE IS YOURSに出してくれるってなった時はうれしくて。LOFTでやるのも夢だったので。


SENTA Kobaは何でこのイベントを知ったの?


Koba 自分は当時は茨城に住んでたので、なかなか情報源がなくて。新宿レコードに通ってた時に、たぶんSHUHEIさん(SWITCH STYLE)がいたと思うんですよ。SWITCH STYLEのHGFACTから出した7インチを知って、そこからディグろうと思って、いろいろ買ってたんですよ。そこにフライヤーが入ってたので、友達と二人で行ってみようってなって。初めてLOFTに行った感じですかね。LOFTは満員でしたよね。


NATSUO お客さんもスゴかった。


SENTA もう音が鳴るだけで盛り上がる感じでしたね。


Koba 自分もお辞儀してステージダイブをした記憶があります(笑)。当時、お辞儀する人っていましたよね。


NATSUO いた、いた。


SiiiCK お客さんの世代はどういう感じだったんですか?


SENTA 同世代とか、少し上の人たちですかね。


Hiro GRUBBY、COCOBAT、HALF LIFEを好きな世代の人はちょっと上かなと思うので。


SENTA その辺の人たちもいたよね。


Hiro LOFTでやる常連のバンドを観に行くようなお客さんはいましたね。


SiiiCK お客さんのモッシュ、ダイブはどういう感じでした?


NATSUO ダイブが多かったですね。


Koba SENTAさんが「腕回せ」って言ったのが印象にスゴい残ってます。


SENTA 回せとけばいいんだみたいに言ってたね(笑)。


NATSUO NYハードコアのドキュメンタリー(’95年の『N.Y.H.C.』)のビデオばかり観てたので。


『N.Y.H.C.』 1995


SENTA あればっか観て練習してた。俺らはあれが基本だから。だけどEarth Crisisのライヴ映像のステージダイブもスゴいなと思って。だからあの日のライヴは何でもありでしたね。


SiiiCK 当時というか、その前から、日本の子たちはアメリカのライヴビデオを観て、どれだけあれに近い感じで暴れられるのかっていうのを追求していたと思うんだけれど。


SENTA それをやってやりたいという感じのお客さんがスゴく多かったと思います。エネルギーがスゴかったのは覚えてて。マイクを向けても、何をやっても、盛り上がってる感じだったよね。



NUMB 1995

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NUMB 1996

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NUMB 1998




バンド結成時のバックグラウンド


SiiiCK NUMBはどういうバンドをやろうと思っていたんですか?


SENTA 僕らは’95年のNYハードコアのドキュメンタリーの方がヒットしたんです。もちろんニュースクールも好きだったけど。


NATSUO ちょっとニュースクールから離れようとしたよね。


SENTA もうちょいNYハードコアのタフさを取り入れたくなってたのかもしれないですね。NYハードコアのクラウン・オブ・ソーンズ、マッドボールとか、第3世代ぐらいになるんですかね、あそこを掘っていくのが楽しすぎて。とにかく全員、ステージングがスゴいじゃないですか。俺らはそっちの方にスゴく影響を受けたかもしれないです。


Hiro 僕たちも高校の時にマッドボール、シック・オブ・イット・オール、バイオハザードあたりから影響を受けましたね。バイオハザードの『Urban Discipline』は、CDの1曲目から最後まで通してかけて、合わせてギターを弾いてたぐらい好きでした。ハードコアに深く入っていったきっかけとしては、僕はやっぱり友作くんの影響が本当に大きくて。バンドのアドバイスもしてくれたし、あと、START TODAY FANZINEをやってたんです。その第1号は確かLIKE A EDISONで買ったんですけど、店員はCOCOBATのRyujiさんでした。その時、ストレート・エッジにスゴい興味があって。’95年ぐらいのライヴ・ビデオはAIRSにもあったんですけど、友作くんが持ってたEarth Crisisののビデオがスゴくて。NYハードコアって、ヴォーカルの動きに特徴のあるカッコ良さがあるんですけど、ギタリストとしては、ギターを上げるスタイルがスゴくカッコ良く感じて。そういうスタイルはニュースクールに多かったんですよ。


SENTA ファッションも2XL系で、カッコ良かったよね。


Hiro Earth Crisis、Snapcaseとか、そういうサウンドが好きで、自分はストレート・エッジになりたいとか、ストレート・エッジ・バンドとしてやりたいという気持ちが出てきたんです。


SiiiCK この日のフライヤーも「X STATE CRAFT X」と、「X」が入っていますね。


Hiro 当時はストレート・エッジ・バンドだったんですよ。ヴォーカルのONUKIも長年ストレート・エッジで、スゴい厳格でした。なので、ストレート・エッジ・バンドとして結成して、Xを入れたかったんです。手の甲にXを入れるほど自己顕示はしなかったですけど、デモテープの歌詞では「Because of I am a straight edge」と僕は歌ってます。


STATE CRAFT / THE CHOICE IS YOURS VOL.2 1996.02.27

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SiiiCK この日に出演した他のバンド、TAKE THE LEADとCLINCHについては?


SENTA 地方でも同じようなムーブメントが起きる前夜みたいな感じだったので。地方との絡みもこの辺りで作り上げたと思いますね。大阪にはT.J.MAXXというバンドもいて。東京だけじゃなくて、地方にも飛び火する、そういうきっかけにはなったと思うんです。


Koba その日の帰りに静岡のバンドで、今はBEYOND HATEでやってるSTANDING POINTという、STATE CRAFTとスプリットを出したバンドとか、友作さんのプロデュースで出してた新潟のWORMED UPとか、バンドのデモを入り口で買いましたからね。みんな全国から来てたんでしょうね。


SENTA そういう夜明けではあったかもしれないね。日本全国で限られたところかもしれないけど、広がる感じはあったね。TAKE THE LEADは名古屋のバンドで、タフなオールドスクール・サウンドで。僕は大好きでしたね。後にWITS ENDというバンドになるんですけど。


Hiro オールドスクールだけど、刻みが入ってたり。


SENTA NYハードコアの影響もあったね。今聴いてもカッコいいバンドですね。CLINCHのギター、俺、YURI、NATSUOは、実は中学が一緒なんですね。新宿の落合地区出身で、たぶんYURIが呼んだんだよね。CLINCHはオールドスクールとジャパニーズ・ハードコアの影響も受けたような感じで。


NATSUO シック・オブ・イット・オールっぽかったよね。


SENTA ストレートなサウンドで、スゴくカッコ良かったですね。WALK PROUDのTシャツを着てたのを覚えてます。


TAKE THE LEAD 1995


SiiiCK Kobaはお客さんとして観ていて、ここがヤバかったというのはありますか?


Koba STATE CRAFTのアップライズも覚えてますけど、何だかんだ言って、SENTAさんが何故かドレッドでバスケジャージだったんですよ。当時まだハードコアは鋲ジャンのイメージがあったので、このスタイルは何なんだ?と思いましたね。


SENTA それ、うれしいな。


Koba 俺はパツパツの格好で行ったので。その翌日から格好がダボダボに変わりました(笑)。


SENTA それの答えはやっぱりFineですよ。ハードコアのページの横にサーファー、スケーターが出てて。当時の僕のファッションは、あのマガジンからの影響が計り知れないんですよ。25 ta Lifeにしても、スゴくルックスでびっくりしたバンドではあるし。ドレッドで全身入れ墨でバスケジャージ着てっていう、わけがわからないなと思って。バイオハザードからの影響も強いですね。


NATSUO Earth Crisisもadidasだったよね。


SENTA NYの人は何故かadidasが多かったんだよ。ヤンキースもadidasだったよね。TAKE THE LEADのギターのRyunosukeくんもNYから帰ってきた時はadidasになってたし。この時はRyunosukeくんがまだNYに行く前で、Ryunosukeくんからの影響も強いですよ。


SiiiCK RyunosukeはNYでWARPの編集アシスタントもやっていましたね。


SENTA 特に腕回しモッシュなんて、Ryunosukeくんとか名古屋の軍団がNYに行って、日本に持ち帰ったようなものですからね。俺たちはビデオの真似でしたから。ヘッドストンプとか、ダイブでも人の上は歩いて行くとか、あの時のHUCK FINNはスゴかったよね。大阪もスゴくて、T.J.MAXXのGUNさんたちもスゴかったですよ。


NATSUO RyunosukeくんはGeneration Recordsの上に住んでるって言ってましたからね。


SENTA Bulldozeも紹介してくれたしね。NATSUOはBulldozeのケヴィンと文通してたよね。


NATSUO 刑務所から手紙が来ました。


SiiiCK TAKE THE LEADは’96年のうちにWITS ENDに変わりましたよね。’96年9月のWARP JAPAN TOURの名古屋公演にの時は、WITS ENDで出演していましたから。


SENTA NYハードコアの影響下でWITS ENDに変わった感じだよね。BLIND JUSTICEがENVYに変わったのも、その少し前で、’95年ですよ。


SiiiCK ちなみに、このフライヤーの写真は何の写真で、デザインは誰が手がけたのですか?


NATSUO デザインはVanさんという女の子ですね。


Koba この日は最後にバンドのステッカーを全員に配ってくれたんですよ。茶封筒に全バンドのステッカーが入ってて。それがうれしくて、しばらく大事に取っておいた記憶があります。


NATSUO フライヤーの写真はSWITCH STYLEっぽいよね。


SiiiCK 「ALL AGES SHOW」と入っているのもいいですね。


SENTA どのバンドもロゴがカッコいい。

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この日以降のシーンの広がり


SiiiCK ここから始まったわけですね。


SENTA ここで出会ったのがデカいかもしれないですね。いまだに引っ張っちゃってるぐらいなんで(笑)。


SiiiCK この日は満員で、大成功に終わったわけですが、この後はどうなっていったんですか?


SENTA 急激にニュースクール・バンドが増えていったよね。


Hiro これがきっかけで、ヒロキくんが始めるSLAM Recordsというレーベルからの話があって。それまではカセットテープしかなかったのに、CDを出そうって言ってくれて。レーベルからCDを出すなんて、自分としては信じられない感じではありました。


SENTA 『FAR EAST HARDCORE』を出したレーベルだからね。


Hiro SLAMはSTATE CRAFTを出して、第2弾がUP HOLDで、第3弾がNUMBですよね。


SENTA だからHiroは先輩なんですよ(笑)。


Hiro SLAM Recordsが自分の周りのシーンに出来たことによって、プロモーションの拍車もかかったし、シーンとして盛り上がっていく兆候をスゴく感じましたね。


SiiiCK SLAM Records主催のイベントもありましたよね。LOFTで2デイズとか。


SENTA ありましたね。あと、シック・オブ・イット・オール以降、ちょっと途絶えてた外タレの来日も増えていくんですよ。そういったこともあって、大きくなっていったよね。


Koba ’97年の25 ta LifeのLOFTにはBACK DROP BOMBも出てましたよね。


SiiiCK まだジャンルが混ざっていた時代ですね。


SENTA ヌンチャクとかもいましたし。ヌンチャクもスゴかったですけど。


SiiiCK ヌンチャクはどういう存在だったんですか?


SENTA SWITCH STYLEと学年は同じですけど、ちょっと1個前のバンドっていうか。すでに作り上げた人たちっていうイメージではあったよね。


NATSUO むちゃくちゃ人気があったから。


SiiiCK この’96年は他にはどういう活動をしていたのですか?


NATSUO NUMBはCD(『ROAR365』)が出る年です。


SENTA ハードコアにどっぷりでしたね。僕はヒップホップも大好きで、「鬼だまり」にも行ってました。渋谷のHARLEMも出来た年ですね。


Hiro 新宿LOFTの前にラジカセを持ってきて、PROTECTのHiroとモッシュの練習とかをしてました。PROTECTというバンドの存在も大きくて。NUMBとPROTECTとSTATE CRAFTは、ユース・クルー、NYスタイル、ニュースクールと、スタイルは違うんだけど、仲間意識があったのが良くて。それが東京のハードコアの良いところだという感じがスゴくしましたね。


SENTA 俺もNYのハードコアのフライヤーで、オールドスクール・バンドと25 ta Lifeが一緒に出てるのを見て、スゴく憧れてたっていうのもあったから。


SiiiCK ’96年というと、WARP JAPAN TOURでマーフィーズ・ロウが来日して、そこにジミー・Gの友達として、KENONE(現ETERNAL B)が登場したのも印象的でした。


NATSUO 全身FILAで。


SENTA ハンチング帽をかぶって。彼の登場も衝撃でしたね。当時は何を聴いても新しかったし、スゴく楽しかったですね。


Koba 僕はこの日のライヴの後に1年、柏で浪人するんですよ。東京にいると勉強しなさそうだったので(笑)。それでも、NUMBとSTATE CRAFTを知ってしまったので、LOFTとかSHELTERとか、いろいろライブハウスに通ってました。


SENTA そろそろKobaのバンド、BIRTHPLACEが生まれるところだよね。


Koba ’97年ですね。BIRTHPLACEは高校の後輩で。STATE CRAFTのライヴに行けばみんないたので、それで知り合うようになったんです。



THE CHOICE IS YOURS VOL.1


SiiiCK THE CHOICE IS YOURSの「VOL.2」とありますが、このイベントは何回やったんですか?


SENTA これで終わりだと思います。1回目はR?hallです。


NATSUO 出演したのは、BLIND JUSTICE、SWITCH STYLE、EVEN THE SCORE、ヌンチャク。


SENTA あの時のBLIND JUSTICEのライヴはスゴく覚えてる。本当にカッコ良かった。


BLIND JUSTICE / THE CHOICE IS YOURS VOL.1 1995


NATSUO 司会をやったよね。


SENTA バンド紹介ですね。あの時はすでにNUMBでスタジオに入ってましたね。VOL.1のフライヤーはうちの兄貴が作りました。パソコンが使えたので、やってくれって頼んだんです。あの時もお客さんは満員でしたね。


NATSUO 間違えて、おじさんとか来ちゃったんだよね。


SENTA それはSUNDAY SCHOOL OF HARDKNOXだね。SMのハードコアだと勘違いした人が来て。椅子を用意して座ってたのを覚えてる。


SiiiCK SWITCH STYLEはすぐに人気が出ましたよね。


SENTA やっぱり新しかったんですよ。彼らはニュースクールで、ライヴでバイオハザードの縦ノリの感じを出せてたのが、やっぱりキャッチーでしたよね。


SiiiCK 他のバンドはまだ前の時代の感じもありましたからね。


SENTA 他のバンドは年齢も上だったので。でも、HALF LIFEはめちゃくちゃカッコ良かった。ライヴで迷彩の軍パンを履いて、XLの感じで、カッケエなと思ってました。


Hiro Earth Crisisの『Firestorm』のジャケットのVICTORYのTシャツを着てたんですよ。


SENTA アンテナが高かったんだと思いますね。でも、僕らにとっては’96年は夜明けでした。今でもこうやって同じように会えて、一緒にライヴができて。スゴい誇らしいと思いますよ。だって、来年で30年だよ。30年間もこんな同じようなことをやれてるっていうのはスゴい幸せだし、その時受けた影響がとんでもなく強かったっていうのは、何か自然に物語れてる感じがありますね。


Koba あの日で自分も人生が変わりましたからね。人生が狂いました(笑)。


NATSUO その前にもブルったことがあるんじゃないかな。


SENTA 俺らにとってはSWITCH STYLEのライヴがそうだったね。あんなに一緒にくっついて見てたんだから。SWITCH STYLEのおかげでヌンチャクも、HALF LIFEも、みんな知れたから。YURIにも、前澤友作にも、ありがとうって言いたいです。



証言:YURI(SWITCH STYLE、現NUMB)


THE CHOICE IS YOURS VOL.1をやったきっかけは、Mitch SxEの企画で、最初にSWITCH STYLEとDBXで初めてライヴをした時に、EVEN THE SCOREも出ていて。EVEN THE SCOREのベースの今村くんと仲良くなって、週に1回は電話してたんですけど、ある時、R?hallの店長と仲良くなったらしくて。「R?hallでイベントやりたくない?」って言われたんです。「Fine Nightをやってるところか。それはどうしてもやりたいな」ってなって。それで1995年8月6日にVOL.1をR?hallでやることになったんです。SWITCH STYLE、EVEN THE SCOREの他に、ヌンチャク、BLIND JUSTICEも呼んでやりました。SENTAとNATSUOは中学校からの同級生なので、二人には手伝ってもらって、司会もやってもらいました。SENTAとNATSUOはSWITCH STYLEのライヴに毎回来てくれて、盛り上げてくれてました。いわゆる「サクラ」というヤツです。サクラって呼び方は何ともなってことで、「クルー」って呼んでました。宣伝のやり方はHG FACTの佐藤さんに教わって、大体のライブハウスとかレコード屋にチラシを配りに行ったり、雑誌に告知を載せてもらったり、ありとあらゆる手段を使いました。


Fineに掲載されたTHE CHOICE IS YOURS VOL.1の告知

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VOL.2の時は、僕がNYスタイルのハードコアだけでやりたいってなって。今村くんに「2回目は僕だけでやらせてくれ」って言ったんです。観には来てくれましたが、「寂しいなあ」って言われましたね。SENTAとNATSUOはNUMBを始める前だったんですけど、ライヴの日程を決めてしまえばさすがにやるっしょと思って。いついつまでにデモテープを作って、そこでデビューだぐらいの感じで言ったんです。NUMBには企画も手伝ってもらいました。CLINCHは僕の小学校の同級生のかんちゃんが始めたバンドで、デモテープを聴いてみたらシック・オブ・イット・オールみたいだったので、出てもらうことになりました。STATE CRAFTは、SWITCH STYLEはギターの音をどういうセッティングで出してるのかというのを聞いてきました。それを教えたらそのままやってましたね。TAKE THE LEADだけ名古屋から呼びました。


ただ、どのバンドも1回目のライヴがLOFTは嫌だからって、その前に1~2回ブッキングを入れてましたね。SWITCH STYLEにしても、7インチを出してまだ半年ぐらいで。よく考えると危ない企画ですよね(笑)。でも、それが新しいんじゃないかという気もしたんです。当日は満員になったものだから、みんなライヴ前は緊張して青っ白い顔をしてましたね(笑)。あの日盛り上がったのは、待っててくれた人がいたからでしょうね。僕は人がたくさん入って安心したし、SWITCH STYLEのライヴもとても盛り上がりましたよ。ステッカー作りも教えてもらって、各バンドに安く作れるところを教えて、配らない?って言いました。いろいろな人に教えてもらったことを、そのまま愚直に実践した感じです。


やっぱりバイオハザードの初来日を観に行った影響はデカいですね。最初はバイオハザードになりたい、COCOBATになりたいというのがあって。その後、NYハードコアの洗脳を受けて、そっちに行った感じです。NYの新しいバンドを教えてくれたのは、SUNDAY SCHOOL OF HARDKNOXという、NYハードコアばかりをかけるイベントの友田さんからで。友田さんの家に毎晩のようにNATSUOと遊びに行って。そこでCBGBのビデオを見せてもらったりてたんですよね。ここまでなってるライヴはなかなかないな、そういうのを日本でもできないかと思って。SENTAは客の動きも研究してましたね。「今度あのダイブをやってみたい」とか、「横から走って行って一回転をやりたい」とか、言ってました。


1996年の残りですが、このライヴを観に来たソニーの人に声をかけられて、ソニー傘下のインディーズでレコードを作っていく流れになっていきました。それで出したのが『...TO INFINITY』(1997年リリース)です。ライヴの方は何もしなくてもお客さんが入る感じになりましたね。『...TO INFINITY』を出した時はクラブクアトロを3箇所でやりました。その翌年ぐらいに僕はSWITCH STYLEをやめてます。


僕的にはその日がピークでしたね。スゴく頑張ったので、若干燃え尽きてしまった感じもあって。3回目はやってないし、その後は一切主催イベントはやってないです(笑)。



NUMB

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