地元を愛し、強い仲間意識に支えられ、単車に美学を見出す。それは生き方そのものをスタイルとして表現する行為だったと思う。特攻服、手描きのデザイン、落書き、ステッカー、写真に映る仲間たち……そこにはアートやデザインとしての感覚が、確かに宿っている。
SiiiCKでは、「鬼面党」の元メンバーである "13" と "14" から提供されたアルバムの写真と証言を通して、’80年代のこのカルチャーを暴力や反社会性ではなく、スタイル、アートの視点からクローズアップしていきたい。


アート
13 鬼の絵のステッカーは、6個上の代のステッカーで。扇子タイプのステッカーは、2個上の代のステッカーです。初代から7個上までが長方形で、黒で白字の鬼面党の、シンプルなんですがこれも渋いステッカーです。ステッカーもこだわって作ってるんですよ。光に反射しないような素材を使って。
14 今見ても、どれも本当渋いです。スゴくこだわりやセンスを感じます。スプレーで壁などにチームのマーキングするのもある意味。グラフィティと同じですよね。
13 あの時分、都内のマーキング事情なんですが、マーキングの落書きは今で言うと、SNSでの宣戦布告と同じですね。敵の地元にマーキングすれば、数日以内に相手も俺たちの地元にマーキングしに必ず来てましたから。新宿とか渋谷とか、中立のエリアがあって。そこにも地元がいるんだけど、みんなが通るところなんで、いろんなところの落書きがその中立エリアで始まるんですよね。「×」のクロスが上から描かれて。「渋谷のあそこが消されてます」って後輩が言ってくると、「誰が消したんだ?」、「板橋です」。そうなったら、行くかってなるんで。俺たちのマーキングが下手くそだったりすると、先輩にダメ出しされてましたね。関東周辺の観光地とかにも、鬼のマーキングをしてました。字のクセとかで、これ何々先輩がマーキングしたヤツだとか、たまに遠い地方とかにもマーキングがあったりと。地元の交番にマーキングしてた者もいましたよ。NY、LAのマーキングにも劣らないマーキング運動をしてましたね。余談ですが、ある日、自分の家のポストに差出人不明で自分宛てに、「スプレー落書きやめろ。やめなければ、おまえの家の壁に落書きするぞ」という忠告レターが届いたこともありました。大迷惑してたのでしょうね。何故か、神社、寺にはマーキングしなかったね。
14 もちろん人の敷地に描くのはダメですが、お寺や神社には気を遣うって、いいですよね。何でもありではないって意識が、いろいろなところにあったと思います。特攻服などにも、アートな部分というか、こだわりを感じました。
13 都内の昭和35年のあたりの不良の人、国士舘高校一家の方たちがやってたスタイルがあって。東京にはそれが根付いてるんですよ。特攻服を見ると、書き方、派手さとかで、大体どこの地元かわかる。右翼のスタイルで、いいところを取ってやってたスタイルですよね。言葉を入れるのは、ガキなりにカッコいいと思ってたからで、いろいろ調べるわけですよ。ろくに勉強もしてないのに、辞典を開いて、意味を知って。昔の戦争に行ったのは10代の人たちだから、その時の俺たちと同年代なんです。だから、こっち系がカッコいいと思ったところもあって。俺たちの単車のガソリン臭さとボロボロさが、どこか零戦に似てるところがあると思いましたね。メッセージもみんな各自で考えて。先輩が書いてた文面から一部を取ったり。日本のいろんなところの暴走族から、いいところを取ってみたりとか。
’80年代は街のファッション、カルチャーを雑誌に取り上げていて。日本中の若者の心を風靡していた雑誌のFineがあったせいか、街を歩けばアメリカンファッション、イタリアンファッション、サーファーファッションが、同じ世代の人たちの間で流行っていた時でした。時代遅れとは認識はしてましたが、世間の片隅での俺たちは、特攻服、旗、単車、ステッカー、あの時分の不良のファッション、ド短髪ニグロ、パンチパーマ、香水、靴、セカンドバッグやら、カッコいい先輩たちを手本にして楽しんでましたね。すべてテーマは、ザッ不良スタイルですが(笑)。



単車
13 俺たちの単車はボロボロだったし、いかにも旧車だったね。ホンダだとCBで、カワサキだとFX。ケッチ(カワサキのKH)は少ない時代だった。
14 当時後輩だった自分は、先輩たちの単車は憧れでした。単車のこだわりはもちろん、色や字の書き方など、本当カッコいいんですよ。陰ながら、先輩たちの単車を見て研究してました。
13 今、写真で見るとカッコいいけど、みんなボロボロだった。金もないし。上手くテープでくっつけたような感じで。完璧じゃないよね。横浜の人たちの方が完璧だったのかな。東京は零戦とか、右翼の街宣車にどれだけ近寄れるかとか、そういう感じでしたね。俺たちの時代は、単車は昼にはあまり乗れなかった。昼間に乗る時は、ジュースの缶を突っ込んで、音を下げて、ヘルメットをかぶって。買い物とか、サラーっと行って、サラーっと帰ってくる(笑)。だからみんな昼間、夕方は、あまり乗らなかったんじゃない?
14 自分は謎に根性試しで、昼に乗ったことが何度かありましたが、後先考えず無謀なことをしてたなと思います。
13 時代的には、表に堂々と停められるようなものじゃなかったんで。敵にしても、警察にしても、目があるんで。隠したし、家の中に入れられたら入れたし。家から遠くに停めてたヤツもいた。公道では、足はほぼ原チャリ。2ケツ、3ケツは当たり前。でもミッドナイトになれば、もう大迷惑をおかけしますという感じで。改造のポイントは、オリジナルでのカラーのセンス、あと、どれだけ大和魂スタイルで渋いスタイルにするかだったね。
14 ハンドルの具合とか角度もありますよね。
13 あったけど、みんな自分でやっちゃってるから。それが正しかったのか、正しくなかったのかはわからなくて。先輩から言われて、真似してやってるような感じだったし。
14 普通に考えたら、向きとかもスゴいですよね。
13 今考えれば、ハンドルの真ん中にステーをカマさないと広がっちゃうよね。これ、5~6年も乗ってたら、絶対にパカッと取れちゃうよ。
14 よくこれで運転してましたよね。
13 何故こういう絞りハンドルのスタイルが主流なのか知ってます? 東京23区には大渋滞があるんですよ。追われた時に、このバイクだと隙間に入りやすいんです。膝を縮めれば、追われてても冷静に隙間に入れるんですけど、急カーブが難しいんですよね。だから、追われても捕まる気がしなかったよね。何故かっていうと、渋滞があったから。あの時代はタクシーも多かったし、普通の車もいっぱいいたし。隙間に入って逃げちゃえば、お巡りはそこでストップだから。
14 都内だと、絶対に逃げられる裏道もありましたね。
13 最終的には、警察も証拠を残さなきゃいけないって、手当たり次第写真を撮ってたよな。俺たちもスターになった気持ちだった(笑)。
14 僕は13さんが引退した時に、バイクを譲ってもらったんで、ほぼそのまま乗れたんですよ。今考えると、何故、俺なんかに譲ってくれたんだろう?っていうのはありました。僕はよく13さんの後ろに乗ってましたけどね。
13 タイミングだったんだろうね。エンジン、調子悪かったんじゃない?
14 マジすか?(笑) ずっと乗れてましたよ。13さんとともに数々の修羅場をくぐり抜けた単車なので、大切にしてました。
13 あの時分、どこ地元も窃盗車が多かった気がします。そっちの方が経済的に良かったんですよ。警察から逃げる時に、置いて捨てられるし。ですが、俺たちは先輩からの忠告で、余計な罪でパクられることを避けるためにも、窃盗車は乗るなと。なるべく正規で買うか、正規で譲ってもらうようにしろと。経済的なことで仕方なく、数台、窃盗車はいましたが。自分は見ず知らずの人から、長く眠ってる単車を、抹消手続きしてから乗りましたね。改造すればするほど、愛着が湧いてました。それを警察に没収されたりした時はショックでしたよね。窃盗車か自前もの、結果、どっちが良いのかを考えさせられた思いがありましたね。
13のHawk II

久我狂乱の単車

14の最初の単車

上北沢の戦闘車





烈士伝
13 「烈士伝 PART 2」という本の表紙に、先輩たちが出てるんですよ。真ん中がボスの保くんで、俺たちの2個上、14の3個上の先輩です。
14 僕の保くんの出会いは中学3年の時で。中学の不良の一人がシンナーを吸って、俺はやってなかったんですが、連帯責任だってなって、不良の仲間全員が呼び出されて、全員ヤキを入れられて、シンナーなんかやってんじゃねえぞって締められたのが、最初の出会いです。スゴく怖かったけど、筋が通ってて、今までに感じたことがない貫禄と鋭い目をしてたのを覚えてます。
13 この本を出してるところが、地元の自分たちの後輩をPART 1で出したから、PART 2では敵対してる暴走族を出してやろうかってことで、それで話が来たわけですよ。表紙はすでにある下町の暴走族で決まってたんですけど、その撮影が終わった後に、こっちの撮影に来て。保くんの統制と43年の先輩たちのオーラで、撮影側が鬼面党を表紙に決定したんですよ。この保くんの同期の十二代目の先輩方みなさんは、笑いのセンス、不良のファッションセンス、悪行のセンス、喧嘩センス、心意気が非行少年ではなく、マブの不良少年でしたね。また、その上の先輩方も本当にマブかったですね。
それと、昭和30年以降、暴走族が衰退してきた代ぐらいの都内の不良少年たちが、普通の人たちに絡んだり、イジメたりということは、自分周りではなかったです。都内の不良少年同士だけで。ここでは話しませんが、命の取り合いまで、一線を越える状況でした。親が思う子への人生のレールを自ら脱線し、やりたい放題で、親には本当に迷惑かけっぱなしでした。10代半ばで己の意識を持っていた先輩たちに憧れ、すべて確信、覚悟の上で、ちょっと大人びてたあの世界にどっぷり浸かり、みんな必死に生きてました。日本の不良少年スタイルを思いっきり楽しんでました。


最後に
去年2025年の年末に、鬼の先輩と、俺たちの東京の不良スタイルと心意気の精神的な神様的な二人が死去なされました。
初代築地 極悪
故 田中氏
新宿極悪、新宿ブラックエンペラー
故 遠藤氏
上北沢 鬼面党
故 有馬氏
深く哀悼の意を表します。
新宿 世田谷 杉並 後輩一同
【前編を読む】
SiiiCK Official
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