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【連載】DOGTOWN スケートボードとカルチャーのつながりとルーツを紐解く VOL.3:Jim Muir

ゼファー・スケート・チーム所属でZ-BOYSの一人であったジム・ミュアーが始めたブランド「DOGTOWN」。

’80年代には弟のマイク・ミュアー(スイサイダル・テンデンシーズ)も加わって、ヴェニスからカルチャーを発信していくリーダー的な存在となった。スケートボードを軸に、音楽、アート、さらにはスタイルとアティテュードが加わったのが、DOGTOWNというカルチャーである。このSiiiCKの連載では、DOGTOWNを愛する様々な人たちに登場していただき、スケートボードとカルチャーのつながりとルーツを紐解いていきたいと思う。第3回目は、DOGTOWNのオーナーであるジム・ミュアーに登場していただこう。ジムのバックグラウンドであるZ-BOYSの話から、音楽、アート、地元カルチャー、スケートボーダーであること、新しい世代に向けたメッセージまで、様々なトピックについて語ってもらった。



初期のスケートボードの時代


 僕はオリジナルのゼファーチームのメンバーでZ-BOY。そしてDogtown Skateboardsの長年のオーナーであり、運営を手がけるジム・ミュアーだ。今回は、最初の頃の話をしよう。

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 12歳でサーフィンを始めたんだけど、当時はスケートショップなんてなくて、サーフショップしかなかった。13~14歳の時、サンタモニカに新しいショップがオープンすると聞いて行ってみたんだ。それがゼファー・サーフショップ(Jeff Ho Surfboards and Zephyr Productions)だった。店に入ると、ジェフ・ホーがゼファーのサーフボードを手にしていたよ。美しいエアブラシが施されたボードで、今までに見たこともないものだった。それで、ゼファーでボードを買おうと決めたんだ。サーフボードを買ったことで、僕は若くしてゼファーのファミリーの一員になった。そこで働くことにもなって、サーフボード作りにも関わるようになり、ボードを磨く仕事もした。スキップ・イングロムが、そこで僕のメンターの一人になったんだけど、彼はゼファー・ショップのオーナーでもあった。スキップ・イングロム、サーフボードのシェイパーであるジェフ・ホー、フォトグラファーでジャーナリスト、そしてブランディングの天才だったクレイグ・ステシック……この三人の男たちがゼファー・ショップの中心であり、クオリティを管理し、方向性を示し、サーファーやスケートボーダーになるために必要なことをすべて教えてくれた。それが、ウレタン製ウィールが出たばかりの、初期のスケートボードの時代だった。

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Z-BOYSの一員になる


 ゼファー・ファミリーの一員になり、従業員として毎日スケートとサーフィンに没頭していた頃、最初のスケートボード・コンテストが開催された。サーフチームはすでにあったけど、スケートチームを作り始めることになって、僕もその一員になった。Z-BOYS=ゼファー・スケートボードチームはそうやって生まれたんだ。チームは最初、コンペティションのために結成されたものだった。その後、クレイグ・ステシックが「DOGTOWN」についての記事を書き、それは雑誌「Skateboarder」に掲載された。その記事は、僕たちスケートボーダーの活動や、スラロームやフリースタイルといった’60年代のスケートボードからいかに進化したかについてのストーリーだった。僕たちはサーフィンのヒーロー、ラリー・バートルマンやデーン・ケアロハ、バドンズ(モンゴメリー・カルヒオカラニキー)、マーク・ライデルらのスタイルを真似て、バンクで滑り始め、バックヤードにあるプールを見つけて、そこで滑るようになった。その時点で、ゼファーはよりドッグタウンにフォーカスされていったんだ。何故かというと、結局のところ、’70年代のすべてのオリジナル・アートを手がけた僕の最初のパートナー、ウェス・ハンプストンが、僕の家のバックヤードで一緒にスケートボードを手作りで製作し始めたからだ。その手作りボードは、市場にあるどのスケートボードよりもはるかに優れていて、結果的には雑誌「Skateboarder」や「Skateboard World」に記事として取り上げられることになった。


 そこから、僕たちはバックヤードでのスケートボード作りという情熱を、ビジネスに変えていくことができたんだ。

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音楽とスケートボーディングのつながり


 音楽は、いつだってスケートボーディングの大きな一部分だった。コンテストではいつも大音量で音楽が流れ、バックヤードのプールセッションでは、必ず大きなゲットーブラスター(大型ラジカセ)があって、ジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリンのような音楽をかけていたものだ。そして最終的に、プールライディングの経験を深めていくうちに、LAでパンクロックの爆発的流行が始まった。パンクロックは、ご存知の通り、元々は1976年頃にイギリスで始まったものだけど、1978~79年頃までには僕たちの音楽になっていた。僕と一緒にスケートボードに乗ってた連中の半分は、完全にパンクロック・シーンにハマっていったよ。


 1980年になると、弟のマイクが僕のヴェニスの家に引っ越してきたんだけど、マイクはハイスクールを早期に卒業し、キッチンでバンドを結成することになった。そのバンドがスイサイダル・テンデンシーズになったんだよ。彼らは演奏を始めたものの、どの会場もギグをさせてくれなかったから、自分たちでバックヤードの自主ライヴを企画し始めて、ファンを作っていった。それでもどこでもギグができなかったから、自分たちでホールを借りて自主企画のショーをやったんだ。すると人々は、彼らが客を動員できるってことに気づくようになって、ハリウッド周辺で自分たちのギグをブッキングすることから始まって、今日に至るまでずっとツアーを続けることになったんだ。

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地元


 地元では、スイサイダル・テンデンシーズがファンを増やして人気が出て、ファースト・アルバムをリリースしてからツアーを始めるようになると、地元にもパンクロック・ファンとスケートボーダーが増えて、彼らもバンドを結成し始めた。それらのバンドは、弟が始めたSuicidal Recordsを通じて世に出たんだ。No MercyやBeowülf、その他ヴェニス出身のバンドを弟はプロモートして、プロデュースして、レコードのリリースを手助けした。そこにはつながりがあったんだ。彼は地元バンドとのショーをプロモートして、「Welcome To Venice」ツアーを主催した。


 同時に、僕たちはDOGTOWNの最初のウェアハウスがあった場所に、スクリーンプリントの設備も持っていて、そういったバンドだけじゃなく、外部の人たち、例えばIce-Tとか、オリジナルのWorld Industriesのジェシー・マルティネスやスティーヴ・ロッコのシャツなんかも含め、あらゆるTシャツをプリントしてた。こういったすべては、「DIY(Do It Yourself)」という要素のすべてに遡るんだ。今は多くの人がDIYという言葉を使うけど、DIYとは実際に何かを始め、自分でクリエイトし、それを続けていくことを意味する。それは情熱であり、自分が愛するものなんだ。それがシーンの始まりとなって、’80年代のLAのパンクロック、ヴェニスのパンクロックにいたすべての人を巻き込むことになった。それは僕たちがヴェニスやサンタモニカにコミュニティを持っていたからで、サポートもあったし、エネルギーを与えてくれるものだったから、みんなにとって本当に良い時代となったんだ。

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クロス・ロゴの誕生


 人々が何度も何度も尋ねてくるのは、DOGTOWNはどこから来たのか? そのアートはどこから来たのか?っていうことだ。ここでまた、クレイグ・ステシックと、Skateboarder誌に載った彼のドッグタウン記事という、本当の歴史のレッスンに戻ることになる。彼がオリジナルのドッグタウン・クロスを創作したんだ。それは壁にスプレーペイントで描かれたもので、1976年にSkateboarderに掲載された写真だった。

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スケートボーダーであることの意味


 親友のジェイ・アダムスはかつてこう言ったよ。「歳を取ったからスケートボーディングをやめるんじゃない。スケートボーディングをやめるから歳を取るんだ」と。これは、僕たちが何者なのかをほとんど言い表している。僕には40代、50代、60代になってもスケートボードに乗る友人たちがいる。70代でスケートボードに乗ってる人たちがいることも知ってる。トニー・アルヴァはまもなく68歳になるけど、彼は68歳にして文字通りプロのスケートボーダーだ。ランス・マウンテンもスティーヴ・アルバも60歳だ。これらすべての人たちが今でも毎日スケートボードに乗る理由は、スケートボーディングがライフスタイルだからだ。それは世界に対して非常にユニークな視点を与え、人々がどんな存在で、日常生活をどう歩んでいけるかについて、より良く理解する手助けをしてくれるものなんだ。


 DOGTOWNが僕にとって何を意味するか。それは難しい質問だ。エネルギーであり、感覚でもある。すべての友人たちとともに成し遂げた何かであり、単なる生き方じゃなく、イメージとスタイルがあるものだ。でも、どう見えるかは必ずしも重要じゃなく、どう行動するかが同じくらい重要なんだ。でも、僕にとってDOGTOWNの大きな部分を形作るのは、リスペクトになるね。


 僕を育ててくれた人々、そして初期のDOGTOWN体験をともにした人たちから教わったのは、優れたスケートボーダーであり、サーファーであり、そのコミュニティで良好な地位を得るためには何が最も重要なのかということだ。それはリスペクトを示すということだった。つまりDOGTOWNは、単なるライフスタイルではなく、アティテュードであり、生き方なんだ。そしてその感覚を持っている時、日々の生活の中で行動ができる。そして一日の終わりに、自分がベストを尽くしたっていうのがわかるんだ。

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新しい世代に向けてのメッセージ


 毎年、新しい世代のスケートボーダーが現れる。そして僕は、自分に与えられた時と同じことを与え続けている。スケートボーディングは、僕が外で目にした人たちのもので、僕の興味を惹いたものだ。僕は尊敬した人たちからその情熱を受け継いだし、僕はそれを与え続けてきた。だから、新しい世代にとってのスケートボーディングで最も重要なことは、楽しむこと、享受すること、他の人をリスペクトすること、いつ口を開くべきか、いつ黙るべきかを知ること、そして何よりも、それを伝えていくこと、情熱を受け継いでいくことだ。それは感覚なんだよ。もしかしたら、出会った誰かとは同じ言語を話せないかもしれない。でも、もし君がスケートボードに乗っていて、彼らもスケートボードに乗っているなら、たとえお互いに話せなくても、コミュニケーションを取ることはできる。僕は日本語を話さないし、日本人は英語を話さないかもしれない。それでも、僕たちはスケートボーディングを通じて互いに通じ合うことができるんだ。

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DOGTOWN

https://www.dogtownskateboards.co.jp/ja

Instagram: @dogtownskate_jp

Facebook: @dogtown.jp


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