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From the Album: 鬼面党 1980s アルバムの写真で見る、1980年代・東京のストリートカルチャー【前編】

1980年代の東京。’80年代後半にアメリカのストリートカルチャーが日本の若者文化を席巻する直前、この国には日本独自のオリジナルのカルチャーが存在した。

地元を愛し、強い仲間意識に支えられ、単車に美学を見出す。それは生き方そのものをスタイルとして表現する行為だったと思う。特攻服、手描きのデザイン、落書き、ステッカー、写真に映る仲間たち……そこにはアートやデザインとしての感覚が、確かに宿っている。

SiiiCKでは、「鬼面党」の元メンバーである "13" と "14" から提供されたアルバムの写真と証言を通して、’80年代のこのカルチャーを暴力や反社会性ではなく、スタイル、アートの視点からクローズアップしていきたい。



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この世界に惹かれた理由


14 最初は、もう完全に未知の世界というか。走ってるのを外側から見てて、「この人たち、何をやってるんだろう? でも、何かカッコいいな」と思っていて。それで、地元の中学の不良の頭の二人が鬼面党に入ったんです。ある時、中学の仲間とゲームセンターにいたら、その二人がパンチパーマでバイクで現れたんですよ。久しぶりに二人に会ったら、貫禄も増してて、「超カッケエじゃん!」って、その瞬間に喰らっちゃったんです。もちろん入る前はスゴく悩みました。ただカッコいいだけじゃ決められないこともいろいろわかっていたんですが、中学の不良仲間たちは本当に仲間意識が強く、熱いヤツらばかりだったので。中学を卒業して遊んでいても、何か充実した日々を過ごせてなかったこともあり、この仲間たちとともに何かできるということで決断に至りました。そこから自分も中学の仲間と入ることになって。


13さんと出会ったのは、俺の中でも人生の分岐点になりましたね。いろんな影響と教えを受けました。走る時も、13さんの後ろに乗ることが多かったんですよ。カッコ良さの追求とこだわりにちゃんと筋が通ってるし、この人についていこうって気持ちになれる、信頼できる先輩でした。13さんがいなかったら、今の自分はないです。


13 自分は小中と、学校には休まず行ってました。勉強には全く興味がなかったですね。地域的には、不良少年たちが割と多く、個性豊かな先輩方が多くいた地元でした。中学の自分たちの代は少なかったと思いますが、都内各所に不良少年たちの組織化が出来上がっていた時代でした。都内にある暴走族も減りはしていましたね。警察からの圧力で消滅危機もありながらも、結束し、体を張って青春を謳歌してました 。俺たちの地元は、都内の住宅地がホームの暴走族、鬼面党が存在して。初代から自分の代で、十三代と続くチームです。そこで育って13歳にもなれば、関係を持ってしまうような環境でした。自分には二つ上の兄貴がいまして、兄貴たちの悪行やバイクを乗り回してる姿を見てました。中学校の前に林があって、そこがヤキを入れる場所で。少年の自分がチャリで通ると、真っ黒の集団が20名ほどが群れてました。校門でタバコを吸ったり、兄貴たちが先輩にヤキを入れられ終わった場面を目撃したり、家の中のゴミ箱に「鬼面党」っていう落書きがあったり。矛盾なことは多々ある世界で、耐え忍ぶ場面が多かったでしょうが、それでも楽しそうな先輩方を斜め下から見てるうちに、自分も惹かれていきましね。鬼面党に俺は入れるのかなとか。でも、兄貴が自分にスゴい厳しくて。絶対に俺をこの世界には入れさせないって言って。周りの先輩からは、「それ、たぶん兄貴の愛だぞ」と言われたし、まあ、兄貴がそういう世界に弟を入れさせたくないという気持ちもわかるんですよ。時間が経ってみるとなるほどなと思うんですけど、その時のしがらみというものは、30歳、40歳になった時も現実にあったから。でもその時は、「何のしがらみ?」って思ってましたけどね。


14 当時を振り返ると、普通に生きてたら経験できなかったことを、たくさん経験したと思います。迷惑行為を美化するつもりはないですが、生きてて恐怖を感じたり、仲間とともに命をかけて腹くくることなんて、なかなかないじゃないですか、自分は幼少期、転校ばかりで、杉並の中学に来るまでは、そういった友人や仲間があまりいなかったので、杉並の不良仲間との出会い、そこからの鬼面党での経験は宝です。みんなに感謝しかないですね。


13 自分が14歳の時だったかな。甲州街道の地元、上北沢に100台ぐらいで調布と府中が来た時に、鬼面党の先輩、43年の十二代目の代、実の兄も含む4~5人で突っ込んだんですよ。地元を死守したんです。その時、自分は兄貴と先輩たちのことをカッコいいと思ったし、スゴい尊敬をしましたね。下手すりゃ殺されるのに、怯まずに突っ込んでいく精神に、完全、気持ちをロックオンされた思い出があります。自分は少し遅れて、家から走って甲州街道行ったんですけど、あんな台数の爆音を初めて聞いて、身震いしてたのを覚えてますよ。たぶん自分はビビってたんでしょうね(笑)。


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地元を愛する気持ち


13 どの年代の時も自分たちが一番だと、 我が立つ前に敵はなし、みたいに思ってました。自分は人より地元意識が強かった性格でしたね。地元の者と仲の良い他の地元の者で集まれば、何かしらトラブルになりますよ。法律とか全く関係なくなっちゃう雰囲気になりますからね。今回は暴力沙汰の話や、攫う攫われ、拉致監禁などの話はしませんが(笑)、夜の溜まり場に毎日巡回に来るお巡りさんをよく困らせてましたよ。そんなことすべてにどっぷり惹かれていったわけです。今思えば、小さい世界でしたが。


母親から、「あんたたちは、日の丸とか特攻とか格好良いと言ってるけども、勘違いしてる。何にも格好良くない」って言われましたね。母親の兄弟が特攻隊だったので、今思えば、母親は悲しくて呆れていたんだと痛感します。自分たちは同じ10代で、近い年代だった特攻隊員が突撃する時、コックピットの窓を開けて、自分の首に巻いてる白い長いマフラーを外になびかせながら、家族のために突っ込むという精心を知った時、自分自身、恥とか切なさとか、いろんなことを考えさせられましたが、特攻隊の家族に対する想いのように、自分たちは愛里、上北沢のために、死を覚悟の上で活動してしまったわけです。死の美学というか、若気の至りで。敵対する暴走族は、新宿、杉並、世田谷以外の暴走族でした。そんなことで、なおさら仲間意識、地元愛が強くなったのかもしれないですね。


14 いろんなリスクがあったけど、先輩も含めて、そこにいる人たちは何か信頼できるというか。そこにいることで自分は安心できましたね。


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鬼面党


13 小学校の頃、家の近くの壁に鬼面党などの落書きあったので、母親に鬼面党って何?って聞いたことがありましたね。母親は濁らしながら、知らないって言ってましたが、自分は小学校卒業前には、鬼面党は俺の地元の暴走族だと認識してましたよ。初代から自分の代で十三代と続いて、世田谷と杉並の境の辺りの地域で、駅周りには商店街がありますが、ほぼ住宅地が自分たちの地元背景になります。なので、暴力団が縄張りを誇示する場所ではなかったです。ただ、、暴走族と暴力団は昔から切っても切れない関係でしたね。地元のお祭りに行けば、改造単車が綺麗に並んでたり、爆音が鳴り響いたりしてました。先輩とテキ屋の人たちがケンカになったりとか。どこの地元話でもあるある話ですが、うちらも昼間の授業中、校庭に先輩たちが単車や車高短の車で入って来たし、中学校の壁は鬼面党の落書きがされてましたね。自分たちの上北沢から南にちょっと行くと、下北沢がありまして。そこにはブラックエンペラーの縄張りがありました。中学時代から下北沢の人たちとは顔見知りでしたよ。ブラックエンペラーは関東周辺のあちこちにあって、昔から有名でしたからね。鬼面党は杉並の高井戸、浜田山、下高井戸、世田谷の経堂、八幡山、桜上水、その真ん中の上北沢が縄張りです。支部はありませんが、偶然なのか、福岡に同名の暴走族がありましたけど、関係はなかったですね。会ってみたいと思ってましたが。レディースはなかったです。この街に鬼面党が存在し、この街で育った以上、鬼面党が通る道だと、あの時分、その先のことは何にも考えてなかったですね。


それで、「鬼面党」の歴史を勉強するわけですよ。初代の先輩に会って、「何故 “鬼” にしたんですか?」って聞いてみたりして。『赤胴鈴之助』という江戸時代のドラマがあって、その悪役グループに鬼面党というのがあったらしいんです。ちょっと面白いじゃないですか。よく選挙の時期になると、「共産党、自民党、そんなことより鬼面党」とか、ふざけて言ってたんですよね。そしたら、この前の選挙の時にインスタを見たら、「今回の選挙、俺はもう本牧党か鬼面党に書く」って書いてた人がいて。「お、こいつ、センスわかってんな」と思いましたね(笑)。



13

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14

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【後編に続く】

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