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DJ DARUMA TOKYOのクラブカルチャー、ストリートカルチャーとともに歩んできた、50年の歴史を語るスペシャル・インタビュー【前編】

TOKYOのクラブカルチャー、ストリートカルチャーの歴史を語る上で欠かせない存在……DJ DARUMA。

’90年代にダンサーとしてキャリアをスタートし、2000年代に入るとDJとして本格的に活動を開始。ヒップホップ、エレクトロ、ハウス、テクノといったジャンルを自在に横断し、DEXPISTOLSの一人としてTOKYOエレクトロ・ムーブメントを牽引。2007年のFUJI ROCK FESTIVALのRED MARQUEEでのプレイは今も語り継がれる伝説となっている。

音楽活動のみならず、ファッションの分野でもROC STAR、CREPEMAN、FULL-BKといったブランドを手がけ、ストリートに独自の美学を提示。

現在はLDH JAPANに所属し、PKCZ®のメンバーとして活動する一方で、同所属の若手グループを中心にプロデュースやディレクションを数多く手がけ、メジャーからアンダーグラウンドまで自由に行き来するその姿は、世代を超えて支持され続けている。

そして2025年、DJ DARUMAは50歳という節目を迎える。11月29日には、そのキャリアと人生を仲間たちとともに祝う特別なイベント『TECHNO / RAP / TOKYO / POWER - DJ DARUMA 50th BD BASH -』が開催される予定だ。

前編では、バックグラウンドからダンサー時代、裏原宿時代について語ってもらう。



カルチャーのバックグラウンド


SiiiCK 音楽、ファッション、アートなど、カルチャーの入り口はどこでした?


DARUMA 両親がいわゆるアメリカン・カルチャー的なものに、思いきり影響を受けてる世代だったんですね。今思えば、そういう音楽やファッションなど様々な文化が割と普通にあるような家だったので、カルチャー全般に自然と触れていた記憶があります。恐らく父はチョッパーなどのバイクやモーターサイクルのカルチャー、母はジャニス・ジョップリンとかRCサクセションが好きで、毎週TVK(テレビ神奈川)の『ファンキートマト』という音楽番組を一緒に観ていました。ファッション的には子供の頃からネルシャツにコーデュロイパンツ、クラークスのワラビーなどを履かされていました。


SiiiCK 自分から好きになったものは?


DARUMA 子供の時のストリートカルチャーって、僕はコロコロ・コミックとかコミック・ボンボン、少年ジャンプかなと思っていて。ストリートの話題、例えば、ヨーヨーやキン消しとかビックリマンシールが流行っているというのを、文脈から掘っていくのが凄く好きでした。コロコロ・コミックやファミ通を隅から隅まで読んで、どういう成り立ちでこの流行が出来てるのかな?とか、カルチャー的な側面から掘っていくことは、小学校の低学年の時から無意識にしていました。それがどんどん切り替わっていって、今に至ってるだけの話なのかなと思います。


SiiiCK そこから音楽に目覚めたのは?


DARUMA 小学生の時に『夕やけニャンニャン』というフジテレビの番組が大流行して、そこからアイドルグループ、おニャン子クラブがデビューして、どハマりしまして。近年で言うAKBさんのような大所帯のグループから様々なソロや、別グループに派生していって。母にお願いしてチケットを取ってもらって、何回かコンサートにも行きました。そのあたりから自分でレコードは買っていたのですが、中学校の2年生ぐらいの時に、イカ天(TV番組『三宅裕司のいかすバンド天国』)が始まるんですよ。多分に漏れず僕もギターを始めて、同級生とバンドの真似事をして、世のバンドブームに乗っかった感じでしたね。我々世代の時はTHE BLUE HEARTSやJUN SKY WALKER(S)を周りの友達みんなが聴いていて、ちょっと違いを出してくる友達から、筋肉少女帯とかレピッシュとかボ・ガンボスを教えてもらうみたな。で、ほぼ同時期に、中3ぐらいになると今度はダンスブームがやって来るんですよね。ZOOの方たちがやっていた『DADA(『DADA L.M.D.)』とか、『DANCE DANCE DANCE』、『ダンス甲子園』がそうで。バンドブームとダンスブームが一緒くたに来た感じで、ヒップホップも聴くのが、カッコいいと思って、渋谷のディスクユニオンに行った時に、初めてヒップホップだと思ってCDを買ったのが、完全ジャケ買いでSchoolly DとRUN D.M.C.でした。そこからヒップホップにハマっていくんですけど、テレビの中の情報しか基本的にはないので、DADAとかで使われている曲をメモって、翌日に渋谷のタワーレコードやWAVEで店員さんに見せて、「これください」みたいな感じで買ってました。そこからMCハマーの波も来て。東京ドーム公演に行ったりとか、パブリック・エネミーのチケットも2日分取ったんですけど、来日キャンセルになって超ショックだったり。で、パブリック・エネミーは一番最初の衝撃だったかもしれないです。先輩の家に行った時に、パブリック・エネミーの3rdアルバムを聴かせてもらうんですけど、当時のコンポってCDの音がめちゃ飛ぶじゃないですか。でも、『DANCE DANCE DANCE』で、DJ BEATさんの2枚使いを見ているもんだから、こういう音楽なのかな?と解釈してました。そのDJ BEATさんの「Welcome to the Terrordome」の2枚使いが超衝撃で、僕もDJになりたいと思ったんです。高校の入学祝いとかお小遣いを貯めて、ターンテーブル1台とミキサーだけは何とかゲットして、あとはコンポみたいなものをつないで、片方はBPMを変えられないまま、ミックスとかスクラッチの練習をしてました。ちなみに、その後の話になるんですが、バンドブームの影響で読み始めた「宝島」を愛読したところから、サブカル知識基礎教養と審美眼をつけられたのも大きいと思っています。その後の「i-D JAPAN」につながっていったり。


SiiiCK 学校にはそういうのが好きな友達はいました?


DARUMA 1個上にサブカルチャーにスゴい突っ込んでる先輩たちがいて。渋カジで、当時でいうチーマー的な先輩たちに影響を受けたんですけど、カルチャーに関してはその中のヒップホップ好きの人たちからいろいろ聞いてた感じですね。その人がパブリック・エネミーが大好きで。僕も直球でフレイヴァー・フレイヴのマネをして、シャワークロックを首から下げて地元を歩いていました(笑)。


SiiiCK ヒップホップのファッション面も好きだったんですね。


DARUMA ヒップホップが一番しっくりきましたね。我々の時代って、高校生でもクラブに入れたじゃないですか。母親との取り決めで、「どれだけ遊んでも、学校だけは休むな」って言われていたので、平日も週末もクラブにはバンバン行ってたんですけど、中学校3年から高校3年まで無遅刻無欠席無早退なんですよ。木曜だったか水曜だったかの夜にCooley High(当時行われていたパーティ)に行きたくて夜の街に行くんですけど、次の日に始発で帰ってきて、『ウゴウゴルーガ』を半寝で観ながら朝ご飯を食べて、学校に行きました。学校にたどり着きさえすれば、まあ、あとはね…(笑)。毎週のようにクラブに行くようになってからは、ダンサーの友達がだんだん出来始めて、高校1年生ぐらいから自分の交友関係の世界が一気に広がっていく感じですね。



16歳頃。パブリック・エネミーのカッコ良さを教えてくれた地元の先輩と。格好はおそらく映画『ニュー・ジャック・シティ』に影響を受けている

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ダンサー時代


SiiiCK その時に今につながるダンサーたちとは知り合ったんですか?


DARUMA 高校1年生か2年生ぐらいで六本木にあったクラブ、Droopy-Drawersに行き始めるんですよ。THE CIRCUSかR?hallかは覚えてないんですけど、向こうのビルのディスコが終わって2時半ぐらいになると、みんなDroopyに流れてくるんです。僕は終電で行くんですけど、Droopyの受付のお姉さんに、「君いくつ? 干支を言って」って聞かれた時に、誤魔化し方がわからなくて、「クマ」って言ってしまったんですよ(笑)。そしたら「…次から覚えてきてね」って言われて、中に入れてくれて。そういう大らかな時代でしたね。それで2時半ぐらいになると、BOBBYくん、HIROさん、RIKACOさんとかが来店して、VIPにいるみなさんを物陰から見て、「ヤベェ!」ってなって。それまでは、フロアが空いてるのでめちゃくちゃ踊ってるんですけど、有名なダンサーの方々が来ると、大人しくしてフロアの端で見ながら、「あのトレーナー、何だろう?」 とか思ったり。DJもその時間はトレンドを意識した選曲になってくるので、BOBBYくんとかHIROさんが踊って盛り上がってる曲を聴いて、イントロだけをめちゃめちゃ暗記するんです。トライブ(ア・トライブ・コールド・クエスト)の「Scenario」のイントロとかがかかると、今枝くん(IMAEDA : 当時第一線で活躍したストリートダンサーの一人)とかが超歌うんですよね。それを暗記したまま一旦外出して、朝までやってたレコード屋のWINNERSまでダッシュで行って。WINNERSのおっちゃんに、「ドゥンドゥンドゥン、ドゥンドゥンドゥン、Here we go, yo, here we go, yo」って歌うと、「それ、これだね」ってレコードを出してくれるんです。それをホクホクで持って帰り、ロッカーにしまい、朝になると自宅に帰って、それを繰り返し聴いて、「これ、超カッケェ」って言って。そういうことを毎週やって、どんどん知識と経験を蓄積していったんです。BOBBYくんとかHIROさんは、まだ話しかけられるような存在ではなかったですね。それで、ダンサー界では青山ナイトのようなイベントがあって、僕たちは「子ダンサー」って呼ばれていたんです。BOBBY一門の、TAKUYAくんとかU-GEが若者世代のスーパースターで。僕はそこら辺の面子とだんだん仲良くなっていくんです。そのぐらいの時代に、同時にEXILEの初代のメンバーだったMATSUやÜSA、MAKIDAIとも知り合っていくことで、ダンス文化とヒップホップにさらにのめり込んで、毎日めちゃくちゃ楽しくなっていきました。その当時はBOBBY一門がシーンを牽引していた感じで、僕はお金がないのでレッスンは受けられず、BOBBYくんのスクールの始まりか終わりぐらいに、仲間に入れてもらうためにスタジオに行くんです。池尻のWILLっていうスタジオで、BOBBYくんとHIROさんのレッスンはつながっていて、BOBBYくんのレッスンが始まる前に行くと、前のスロットのHIROさんに顔を覚えてもらえたりするかな?とか考えたり。で、BOBBYくんのレッスンが終わると、WILLの下でみんなで溜まるんですけど、その中でイケてる連中はBOBBYくんがご飯に連れていってくれたり、BOBBYくんの家に行けたりして、そこでいろいり情報をもらえるんですよ。



18歳頃。高校の休み期間のみ憧れのドレッドヘアに

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SiiiCK ダンサーチーム、BABY NAILのメンバーでしたよね。


DARUMA 元々、中期メンバーとしてMATSU、MAKIDAI、ÜSAとRYUZYがBABY NAILを組んでいたんですけど、そのチームが若手ダンサー代表みたいな感じで、MEN SOULに続いてスターチームの一つになっていくんです。僕はその時、まだBABY NAILにはいなくて。ちょうどMISIAさんが世の中に出てくるタイミングで、MAKIDAIはMISIAさんのバックダンサーになるんですね。そのBABY NAILのMAKIDAIが抜けた穴に、「俺、一緒にやりたい」って言って、僕が入っていくんですよ。その時の世の中のダンスと音楽の流れは、ビッグビートが出てきてる時で。僕らがBoot Camp Clikとかズブズブのヒップホップを聴いてる時に、BOBBYくんたちはいち早くそっちに行ってるんです。それで、僕が入ってからのBABY NAILは、USの流行のヒップホップそのものというよりも、ヒップホップを文化として、もうちょっと大きな解釈でミックスしていたヨーロッパに影響されたダンサーになっていって。MATSU、ÜSA、RYUZYに僕が加わった4人が新生BABY NAILとして世の中に出ていきました。その僕が入ったBABY NAILを、丸ごとBOBBYくんが面白いって言ってくれて、それが僕たち世代のJ.S.Bになっていくんです。その前からBOBBYくんの家に行って、我々は刷り込みをされているんですよ。特に印象的だったことがあって、その時代の世界のポップ・ミュージックとかダンスミュージックって、今みたいにタコツボ化してなくて、一個最強のものがあって、それを世界中が見るような時代だったと思うんです。で、DJ SPINBADの’80sのミックステープを聴きながら、BOBBYくんに「’60年代、’70年代、’80年代、’90年代って、アメリカとヨーロッパの文化の流行がどんどん入れ替わっていってるんだよ」という “カルチャーの螺旋” の説明をされて。「’90年代って、ヒップホップでアメリカをめっちゃ見てたじゃん。これから00年代になって、ヨーロッパの文化がめちゃめちゃ面白くなるよ」っていうことを、’90年代末に言われるんですよ。確かに、ケミカル・ブラザーズ、ファットボーイ・スリム、プロディジーとかを教えてもらった時に、そのミックス感が面白くて、めちゃくちゃ喰らっていたんですよ。



21歳頃。DJ KANGOの影響で、ダンサーの中で爆流行したNYUのスウェットを着ている。カッコつけているけど、背景は実家の砂壁

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SiiiCK 当時のBOBBYやHIROは、音楽とダンスにおいて最先端でしたからね。


DARUMA スゴくありがたい教育だったと思います。その時に、雑誌の出方に関しても、どういう風に出るのか、どういう写真なのか、並びが誰なのか、そういうのはちゃんと自分で意識しろということを言われて。当時のストリートカルチャーで勝ち上がっていくための基礎知識を、BOBBYくんやHIROさんにつけてもらったというのはめちゃめちゃありますね。


SiiiCK J.S.Bでの活動はどうでした?


DARUMA 僕、ぶっちゃけ、ダンスが下手くそなんですよ。ノリと勢いだけはあるんですけど、スキル的には全然で。今も昔も練習が嫌いなんです。なので、DJもスクラッチ方向には全く行かず、ただ選曲のセンスだけで行くみたいな感じで、ファッション性とクラブでの立ち回りの方が重要だったんです。ダンスが好きになったのも、体育的な角度で好きになったわけじゃなくて。それこそBOBBYくんとかHIROさんがクラブに来た時に、不良のお兄ちゃんたちが格好つける術の一個のツールとして、ダンスが踊れるという側面がめちゃカッコいいと思ったんですよ。別に動きがカッコいいとか、スキルとかそういうことじゃなくて、カルチャーをまとっている感じがカッコ良かったんです。かたやダンスが好きな人たちって、基本的には上手く踊りたいので、どんどん練習するじゃないですか。僕はそこを端折ってきちゃってたんで、J.S.Bになった時も超苦労したんです。BOBBYくんにも、「おまえ全然基礎が入ってないから、マジで練習しろ」って言われて。でも、後々BOBBYくんと話した時に、「NORI(DARUMA)がそうやって子供の時から蓄積してきた、カルチャーを分析する癖とか、音楽を文脈的な角度から聴くようなところが面白いから、J.S.Bに引っ張ったんだよ」って言ってもらって。要は、「今、ビッグビートだったら、こういうアーティストがいますよ」とか、「何でこのアーティストは、この音楽でこの角度の表現をしてるのか」っていう僕なりの分析をBOBBYくんに話していて、そこが面白いから、カルチャーのそういう側面をJ.S.Bにもたらすと思ってくれたみたいで。「でも、いざお前を入れたらダンスがめっちゃ下手だった」、「だから特訓させた」って言われて。自分のダンスは今見ても、とても恥ずかしいです。


SiiiCK でも、カルチャー面は発揮できましたよね。


DARUMA きっとBABY NAILの他のメンバー3人もソコを面白がってくれて。僕がチームダンスの曲の構成を作ったりとか、こういう衣装でやろうよって率先して提案したりとか、少なからずその部分は発揮できていたと思います。



23歳頃。ÜSA、MATSUとBABY NAILに加わる前のDARUMA

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裏原宿とROC STAR


SiiiCK DJの方はどのような活動をしていったんですか?


DARUMA その時はビッグビートのDJをやっていたんですよ。’98年、’99年ぐらいにビックビートが面白いと思って、BOBBYくんも言うように、ヨーロッパの文化が面白いってなってたんです。当時のヨーロッパはレイヴ・カルチャーが戻ってきて、GatecrasherとかCreamfieldsとかが出てきて。2000年を境に、ヨーロッパで新しい野外フェスがどんどん出てくるんです。あの時のヨーロッパでは雑誌がスゴく元気で、MixmagとかDJ Magをみんなが読んでいて、雑誌の付録にCDが毎月ついてくるんですよ。そのCDが楽しみで、ヨーロッパのトレンドをいち早く知れるんです。その流れでフェリー・コースティンの『Trance Nation 1』が世の中にバーンって出た時に、ヨーロッパの一大トレンドがそれになっていったじゃないですか。それが音楽的に、面白い、カッコいいと思うようになって。トランス・ミュージックの感じが、自分にとって刺激的なものになったんです。僕はその前に、プロディジーがめっちゃ大好きで。ファッション的な側面もカッコ良かったし、ヒップホップ、ロック、テクノ、パンクのアティテュードが、全部一緒くたになっているのが超ヤバいと思ったんですよ。サウンド的にも超エッジーでカッコいいし、超踊れるなと思って。そうなった時に、自分たちのファッションも、プロディジー、特にキースに影響された、ちょっとパンクスが入った格好になっていくんですけど、上手く表現できているわけもなく、あまりイケてない感じだったんですよ。でも、そういうのを自分なりの解釈でめちゃくちゃカッコ良く表現してる人が、レイヴ会場のフロアでうろうろしていて。ピンクのモヒカンにサングラスをかけて、その当時全く有名じゃなかったKAWSのスカルのTシャツを着て、バンダナを首に巻いて、軍パンを膝までまくって、足元はNikeのスニーカーで、手にBMXグローブを付けて。ヒップホップ、テクノ、パンクをその人なりにものスゴいバランスで表現しているんです。「何あの人? 超カッケェ」と思ったその人は、スケシンくん(SKATE THING)で。そこから「あの人、超ッカッコいい」ってずっと追っかけて。それで、パーティ会場で共通の知人にお願いして、紹介してもらったら、「君たち、フロアでガンガンヒップホップ踊ってるけど、何なの?」って言われて。後で話を聞くと、スケシンくんも、その後DIGITAL JUNKEEZになっていく僕らのダンス・クルーを見て、「あの子たち、何なんだろう」って思ってくれていたみたいなんです。その時、僕は自分が触れてきたストリートカルチャーの話をして、ダンスの文脈からこういう流れを経て、今この現場にいて、ダンスをガンガン踊っているという話をしたら、スケシンくんも「君、面白いね」ってなってくれて。「うちの事務所に遊びに来なよ。俺、グラフィックデザインをやってるんだよ」って。その時の僕は緑のモヒカンで、スケシンくんはピンクのモヒカンで、同じような髪型をしてたから、スケシンくんの言葉をそのまま使うと、「二人のモホークが2000年のトランスのフロアで『Alive TV』の話をしてるなんて、めっちゃSF」って思ったらしいんです。それで洋服を僕にスゴいくれるんですよ。当時の自分からしたら、洋服をタダでもらえるなんてあり得ないじゃないですか。そこからスケシンくんの事務所に毎日行く…っていうか、今思えば押しかけるようになって(笑)。そこでまた感じるんですけど、あの方たちのカルチャーの入れ方って、オリジナリティをめちゃめちゃ大事にするし、もちろん良い意味で最初から裏を入れてくるじゃないですか。BOBBYくんたちに習ってきたのは、元々ある経典を真正面からストレートにきれいにしっかり学んでから、取捨択一して自分らしさを加味して表現するという、ある種ブルース・リー的な美学で、それとはまたいろいろな意味で違った、原宿の方たち特有の東京オリジナルのカルチャーの入れ方、作り方っていうのを、新たに学ぶ機会ができたのが、僕の人生ラッキーポイントの第2章でしたね。とにかくスケシンくんのアトリエに毎日のように押しかけて、くっついて歩くっていうのを、1年半か2年くらい続けていました。


SiiiCK YOPPI(江川芳文)とのつながりもそこからですか?


DARUMA そうなんですよ。ヨッくん(YOPPI/江川芳文)も、見かけるたびに「あのFineに出てたヨッピーだ」と思ってましたね。NIGOくんを初めて見た時も印象的で、NOWHEREのスケシンくんのアトリエにいた時に、「シンちゃん、ボバ・フェットの中身、女かもしれないんだって!」って言いながら興奮気味にいきなり入ってきて。「それ超ヤベェ!!」って、二人で盛り上がってるっていうのがめちゃくちゃ印象的でした。そのあたりから隣のアトリエにいたMANKEYくんとも、少しずつ話してもらえるようになったり。で、ヨッくんは事務所が違うHECTICだったので、まだ遠い存在だったんですよ。でも、その時にプエルトリコのジャングルでレイヴがあるというので、みんなで行こうっていう話になって。僕はスケシンくんにくっついてついて行くことにしたんです。その全く同じ時期にラスベガスでマジックショーという、今でいうComplexConみたいなのがあって。マジックにも行くからラスベガスで待ち合わせようってことになって。マジックにはヨッくんも来てたので、ちょっとだけ話したんですよ。それでプエルトリコから東京に戻ってきた時に、東京のパーティでヨッくんに会って。「マジックにいた子だよね。最近シンちゃんがよく連れてる子だよね」って言われて。その時の僕はスケシンくんに超影響されてるっていうのもあって、自分でTシャツを作って、DIGITAL JUNKEEZのメンバーに着てもらってたんです。そしたらヨッくんが、「自分たちでTシャツを作ったの? そういうことをやりたかったら、うちはHECTICというのをやってるから、君たちのダンスクルーが着る用に、一個ブランドをやるのどう?」って言ってくれて。「でも俺、洋服デザインとかちゃんとできないんです」って言ったら、「AKEEMにロゴとか作ってもらえばいいじゃん!」って言ってくれて。AKEEMが「ROC STAR」という名前を考えてくれて、ボスのマガラさん(Magachin)に挨拶させていただいて、そこから原宿の僕の新しいチャプターが始まっていくんです。



ROC STARのスウェット。展示会にて

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ROC STARを着用するDIGITAL JUNKEEZの面々

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SiiiCK そういうことだったんですね。どれも人の縁とタイミングが素晴らしいですね。


DARUMA まさにありがたい縁がすべてをつないでくれた感じがします。その時はHECTICがいわゆる裏原宿のシーンでバコーンと行くホントに直前だったんですよ。BAPE、NEIGHBORHOOD&WTAPS、UNDERCOVERが炸裂して、次はHECTICだってなった時に、ちょうどROC STARが新しいファミリーブランドとしてHECTICに加わって。最初めちゃくちゃ売れたんです。2002~2003年のことですね。今思えばめちゃくちゃな洋服作りなんですけど、その時に僕がスゴい覚えてる言葉があって。JONIOくん(高橋盾)がHECTICの展示会に来てくれた時、僕のROC STARのラックを見て。「スゴい勢いがあっていいね」、「その勢いは絶対に消しちゃダメ」って言ってくれたんです。スケシンくんにも、「どういう風に評価されてるかわかんないから、めっちゃ不安」って言ったことがあって。「まず自分がどう感じるかを優先させて、それ(人の評価)を気にしちゃダメ」って教えてくれたり、「一回終わらせたクリエイティヴは振り返らずに、すぐに次のクリエイティヴにぶつけてどんどん新しいのを作った方が良いよ」ってアドバスをもらったり、本当、僕の人生はすべて “縁” に助けられていると思います。


【後編に続く】


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TECHNO / RAP / TOKYO / POWER  - DJ DARUMA 50th BD BASH - 

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2025年11月29日(土) 23:30 OPEN START 


会場:duo Music Exchange + 東間屋 料金:前売チケット 3,000円 +1D (700円)/ 当日 3,500円 + 1D (700円) 


出演:

【duo Music Exchange】

◾️Shot Live

BIM / Chaki Zulu (Self Remix Set) / kZm

--シークレットゲスト解禁--

JP THE WAVY (Shot Live)

WOLF HOWL HARMONY (Shot Live)


ALAN SHIRAHAMA (DJ)

◾️DJ (A to Z)

CYBERHACKSYSTEM / DJ DARUMA & JOMMY / GAMEMASTER KN / KENTACATS × KZMT / Licaxxx / MARZY

 

【東間屋】

◾️DJ (A to Z)

DJ KANGO × DJ YAN (B2B Set) / HW BINGO / MAGARA (Masterpiece Sound) / MATT (TRIPSTER) / TAISHI HITOMI / TOKO / YOPPI


Flyer Design / GUCCIMAZE & DJ DARUMA


主催:TRIBALCON.

企画・制作:TRIBALCON.

協力:AlphaTheta株式会社 / duo Music Exchange / 東間屋 / LDH JAPAN

 

前売チケット

URL:https://tribalcon.zaiko.io/e/techno-rap-tokyo-power 

問合せ:https://tribalcon.co.jp/contact-event

 


DJ DARUMA

プロフィール: https://www.ldh.co.jp/management/dj_daruma/ 

Instagram: @djdaruma

コメント

1件

    • 鹿児島市民 2025-11-28 16:32:10

      また、南九州にもDJしに来てくださいー。

      1
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