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【連載】Mei Yong(Liberaiders) × Toshiya Ohno Liberaidersの原点カリフォルニアについて語るスペシャル対談 VOL.1 初めてのカリフォルニア

Mei Yongと大野俊也が出会ったのは、2009年の東京。

北京出身のMei Yongは、大学生として来日し、大阪に住んだ後、東京へ拠点を移した。アメリカ・カリフォルニアのブランド、FUCT、FRESHJIVE、ENJOI、Fucking Awesomeなどの代理店を手がけ、2017年には自身のブランド「Liberaiders」をローンチ、現在は同ブランドのディレクターを務めている。

一方の大野俊也は、Fine、WARP、FLJなどの雑誌で編集長を歴任してきた編集者で、カリフォルニアのカルチャーを長い間日本に紹介してきた。

二人が初めて出会った時、共通のアメリカ人の友人があまりにも多いことに驚いて、すぐに意気投合をしたという。それ以来、二人の付き合いは公私ともに続いている。

Mei Yongが現在手がけているLiberaidersは、旅をテーマの一つとしているブランドだ。2026年AWコレクションで旅先に選ばれたのは、カリフォルニアのサンフランシスコ。そういうタイミングで、カリフォルニアに深い造詣を持つ二人が、これまでの経験や記憶を交えながら、カリフォルニアについて語ってみた。

シリーズでお届けする対談の第1回目は、二人が初めて訪れたカリフォルニアの話から。



初めて訪れたカリフォルニア


大野俊也 一番最初にカリフォルニアに行ったのはいつですか?


Mei Yong 大学を出てすぐ、1995年ですね。アメリカに行けたらなと思って、アメリカと取引をしてる商社を選んで就職したんですよ。その前にもアメリカには一回行ってるんですけど、学生時代の貧乏旅行で。一回では全然足りないなという感じで、あと100回ぐらいは行きたいなという気持ちで帰ってきたんですよ。それで商社に入ったんですけど、最初の1年はアメリカに行かせてもらえなくて。


大野俊也 最初は倉庫で働いてたんですよね。


Mei Yong 「まず1年は倉庫で働きなさい」と言われて。その時、納得はしてなかったんですけど、今となっては、あの1年間はスゴく価値のある1年間だったなと思って。そこで貿易の基礎を体で覚えました。


大野俊也 倉庫で良い業績を上げたので、アメリカに連れて行ってもらえることになったんですよね。


Mei Yong 僕は朝8時頃に出社するんですが、倉庫の仕事は5時半までなんですよ。事務所は6時半までなので、倉庫が終わってから事務所に行って、貿易部の仕事を手伝って。当時はまだパソコンがなくて、ワープロなんですよ。上司が打ったFAXを自分でもう一回打ち直すという1年間でした。それを上司か社長がずっと見てたみたいで。毎年、アメリカの展示会に出張へ行く会社だったんですが、「じゃあMeiくん、今度一緒に行こうか」ってなったんですよ。倉庫の1年間は試されてるよう感じで、その上でやっと行けるアメリカだから、やっぱり大事にしたいし、貴重なチャンスじゃないですか。一回と言わず、これから何度も連れて行ってもらいたいので、カリフォルニアに行った時は必死でした。昼間は会社の上司たちと展示会を回って。夜は日本食を食べて、みんながホテルに帰ってゆっくりしてる間に、僕はクラブとかに遊びに行って。夜な夜ないろんな冒険をして、帰ってきて、次の日の朝はまた一緒に回るんですよ。それが最初の2週間でしたね。それで、ロサンゼルスに行って、アトランタに行って、ラスベガスに行って、帰ってくるんです。その時の展示会はラスベガスがメインで、マジック・ショーと言う全米最大の展示会があって。アトランタの展示会はスポーツ関連なんですよ。


大野俊也 マジック・ショーには僕も行きましたよ。アトランタには、LA Gearのタイアップ取材で行ったことがあります。


'89年頃のASR。左から、クレイグ・ステシック、大野、STUSSYのスタッフだったフランシス・ラム、スティーヴ・キャバレロ、フォトグラファーのトシ沢尻さん

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Mei Yong アトランタに行った時も、カルチャーショックを受けて。あそこはコカコーラの本拠地だから、どこに行ってもコカコーラが飲み放題なんですよ。水代わりにコーラばかり飲んで、最高の街だなと思って(笑)。あと、アトランタには黒人が多いんですよ。僕らは地下鉄で移動するんですけど、黒人しか乗ってなくて。しかも、ロサンゼルスのイメージとは違って、ピシッとスーツを着たり、ラルフローレンをジャストサイズで着たりする、スタイリッシュな黒人が多くて。それがカッコいいんですよね。ただ、他の人種が一切乗ってないので、僕らアジア人が3~4人乗ってると、みんなにジロジロ見られて。ちょっと不気味な感じはあったけど、別に危ないことは何もなくて。それがアトランタに対する印象でしたね。ラスベガスに行った時は、朝から夕方まで歩いて。マジック・ショーってむちゃくちゃデカいから、足がパンパンになるんですよ。ホテルに帰ってゆっくりしようと思ってても、1階がカジノなので、部屋までたどり着かないんです。そこでカジノを楽しんで……気づいたら朝4時っていう、過酷な旅でしたね(笑)。ロサンゼルスは、昼間にアメリカの業者を回って、夜は現地の若い連中と遊んで。今でもはっきり覚えてるのは、LAXから日本に帰る時に外の景色を見て。「俺は絶対にまた帰ってくる」、「もっと頑張ろう」って、そういう気持ちになったんです。それが最初のアメリカですね。


大野俊也 僕は雑誌Fineの編集部に入って1年経った時に、自分が手がけた企画が当たったので、そのご褒美で当時の編集長にカリフォルニアに連れて行ってもらったんですよ。僕と編集長とフォトグラファーの三人で行くんですけど、カリフォルニアにはほとんど知り合いがいなくて。どうするの?ってなるじゃないですか。一応、THE SURFの紀藤さん(紀藤雅彦)を訪ねていくのと、JALのタイアップ取材だけは決まっていて。とりあえずレンタカーを借りて、サンタモニカからサンディエゴまで、PCH沿いをサーフショップ、スケートショップを訪ねて取材をしようってなったんですよ。アナハイムにあるヒルトンに泊まって、サンディエゴから北の方に上がっていくんですけど、最初からいろいろな人たちと知り合うことができて。それこそ後に僕が雑誌WARPをやるきっかけにもなった、トランスワールドのスタッフともそこで知り合うんですよ。それがオー・バーソロミューというフォトグラファーで、バンドマンもやってる人で。それで、日本に帰る3日ぐらい前にJALの取材があったんですけど、アメリカ人のスタッフから、「明日はどこへ取材に行くの?」って聞かれて。僕は「ヴェニスに行くつもりだ」って答えたら、「危ないから、絶対に行くな。この前も人が殺されたし」って言われて。編集長が「じゃあ、大野くん、やめようか」って言うから、「編集長、危ないから行くんですよ!」って言い張って(笑)。それでヴェニスに行ったら、バビリオンにジャンプランプが設置されてて、クリスチャン・ホソイ、エリック・ドレッセン、アーロン・マレー、ジェシー・マルティネス、パット・ノーホー、ブロックとかがいて、みんなそこで滑ってたんですよ。


'87年のヴェニス。危ないからこそ行ってみたらスケーターがみんないた

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Mei Yong それは何年のことですか?


大野俊也 '87年ですね。すでに日本でもスケートボードの取材はやってたから、Fineのスケートボードのページを見せたんですよ。そしたらみんな盛り上がってくれて、熱いフォトセッションが始まって。そこにいたのは、DOGTOWNとALVAの有名なライダーばかりで。DOGTOWNのジム・ミュアーもいて、そこで大野薫さんの話も出て。「おまえ、大野っていうくらいだから、薫の息子か?」とか言われて。そこでのつかみも良くて。「明日、DOGTOWNのウェアハウスに遊びに来ないか」って言われて。翌日、イングルウッドにあるウェアハウスに行って、取材もして。そこでバイトしてたのが、Excelのショーン・ロスと、No Mercyのメンバーで絵描きのリック・クレイトンだったんですよ。スイサイダル・テンデンシーズのマイク・ミュアーはちょうど『Join the Army』のツアー中で、その時はいなかったんですけど。


Mei Yong ヤバいね。今の話を聞くと、大野さんは僕よりも10年近く早いんですよ。僕は'95年から行きだしたんですけど、いわゆる業界の中のレジェンドたちと遊ぶようになったのは、'98年なので。


Suicidal Tendencies - Possessed To Skate



エリック・ブルネッティとの出会い


大野俊也 MeiさんはASRの時に、FUCTのブースに行ったんですよね。


Mei Yong その時は、FUCTのブースとFRESHJIVEのブースでしたね。’96年当時のFRESHJIVEは、ドカーンと行ってた全盛期で。あのロゴマークがカッコ良くて、みんなあのステッカーが欲しくて。自分の四駆にもずっと貼ってたんですよ。当時、GLOBEという靴のブランドがあって、それもASRでデビューしていて。その二つのブランドが特にスゴかったんです。FRESHJIVEはSTUSSYと同じノリで、サーフ、スケート系だけど、FUCTだけはサーフもスケートも関係なくて。ドカーンとブースがあって、スタッフにしても全員刺青が首まで入ってるんです。当時の業界のアメリカ人はまだそこまで刺青が入ってなくて、FUCTのブースの中だけみんなが入れ墨だらけで。ブースの中に入りたいけど、小売じゃないから入れてくれなくて。とにかく「FUCT」という名前にヤラれて、ここのデザイナー(エリック・ブルネッティ)と友達になりたいって、ブースのスタッフに言ったら、「今は展示会中なんで。友達になりたかったら、終わってから来なよ」って言われて、名刺と住所をもらって。「来週、遊びに来なよ」って言うから、「いいんですか?」ってなって。それがきっかけになったんですよね。その時に相手をしてくれたのは、ジェイソンという子で。スキンヘッドで、タンクトップ姿にChrome Heartsを着けてて、超カッコいいんですよ。それで翌週、事務所に行くんですけど、場所はサウスセントラルで。よくわかってないから、タクシーで行って。降りたらそこは倉庫で、ピンポン押してもなかなか出て来なくて……。そしたら後ろにいたジャンキーたちが何故か群がってきて。「終わったな」って、正直思ったんですよ。そしたら扉が開いて、「何か用か?」って言われて。「いや、俺、先週ASRに行って。遊びに来てって言われたんですよ」って言ったら、「ああ、じゃあ中に入れよ」って言われて。倉庫の中に入ると、オフスプリングの曲が話し声が聞こえないくらい大音量でかかってて。その時の俺はまだ商社にいたから、そんな会社はあり得ないわけですよ。こんなんでどうやって仕事すんの?みたいな。10数人の社員がいて、全員白人で、みんな刺青だらけで。「俺、ヤバいところに来ちゃったな」と思ってたら、みんなもこっちを見てて。「中華の出前してないし」みたいな顔してるんですよ(笑)。


大野俊也 本当ですか(笑)。


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Mei Yong それで、ジェイソンが出てきて。「エリックはまだ来てないよ」って言われて。怖くて外には出たくないから、「俺、ここで待ってますよ」って言って。それで待ってたら、エリックが金髪の女の子を連れて、入ってきたんですよ。もうね、ロックスターみたいな感じで、デカいテキサスのハットをかぶって。スーツじゃないけど、ジャケットを着てて。余裕の雰囲気で、「こいつ誰?」って俺を指さしながら、ジェイソンに聞いて。「東京から来て、友達になりたいんだって」ってジェイソンが返したら、「本当? 東京か。ああ、いいよ。来いよ」って言って。倉庫の中のアトリエに連れていかれて。あとからわかったことだけど、そのアトリエには社員も入れないんですよ。完全に自分と彼女しか入れないところで。中に入ったら、とにかくスゴいんです。『Planet of the Apes』の絵とか、当時はまだ珍しい、デカいコンピューターとか、ベトナム戦争時代の手描きのヘルメットとか、他にも軍ものがいっぱい飾ってあって。ジョン・ウェインのポスターも飾ってあるし。カッケエなあ……って、興奮していろいろしゃべっていたら、ベトナム戦争の話になって。ベトナム戦争は俺もスゴい影響を受けていて、今のLiberaidersにもあるミリタリーの要素も、実はベトナム戦争から来てるんです。それで、エリックといろいろしゃべってたら、途中から、「いや、うれしいわ。おまえみたいなベトナム人に、俺のベトナム戦争に対する解釈を理解してもらえるのは、スゴいうれしい」って言われて。「あれ?! 俺、ベトナムから来たなんて一言も言ってないんだけどな、東京だし」って(笑)。


大野俊也 エリック、適当ですね(笑)。


'99年。Mei Yongとエリック

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Mei Yong 俺はたぶんエリックにとって、初めてのアジア人の友達だと思うんですよ。だから、区別がついてなかったんだと思う。でも、そんなことは重要ではなくて。なかなかないチャンスだし、2回目はたぶん一人でこの事務所には来れないなと思って。エリックに、「電話番号を教えてよ。俺は出張でしょっちゅう来るし、今度来る時はご飯をおごるから、いろいろいいバンドとかレコードを紹介してほしい」って言ったら、「全然いいよ」って、電話番号をもらえて。それでエリックたちにタクシーを呼んでもらって帰ったんです。自分の中では、とにかく「やったぜ」って感じで。それからは、アメリカ出張に行くたびに、エリックとかFRESHJIVEのビル(ビル・ヘブナー)と付き合うようになったんですよ。あの当時は、本当にたくさんの友達が出来ましたね。FUCTにしても、FRESHJIVEにしても、Dwindleにしても、その後、大物になった人が当時の友達の中から何人も出てきたんですよ。今となっては、我々が言ってる "ストリート系" って、そういうことなんじゃないかなと思って。危険を冒してまで追っかけたからこそ、自分らのことも本物だと思ってるんですよ。当時、FineとかWARPでは知ってた人だけど、本物と会えるなんてあり得ない話だから。さっき大野さんが言ってた、Excelのショーンとかダン(ダン・クレメンツ)は、大野さんの10年後だけど、僕も会ってるんですよ。ダンはBrooklyn Projectsで働いてたから。そこのオーナーのドミニク(ドミニク・デルカ)は、MTVのVJをやってたから、有名なんですよ。


Mei Yongとビル・ヘブナー

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大野俊也 『Headbanger's Ball』ですね。僕も長年の友人ですよ。ドム(ドミニク)は、アンスラックスのツアースタッフもやってたんですよね。


Mei Yong ドムがメルローズでやってるBrooklyn Projectsというスケートショップは、NikeやDGKともコラボしてるし、エリック・コストンもチャド・マスカもショップライダーに名を連ねている、本当にスゴいスケートショップで。その店に行った時にダンがいて、ダンはドレッドだったんですよ。「あのExcelのダンがここの店員なんだ?! スゲエ」と思って。


大野俊也 そう言えば、僕はFRESHJIVEのリック・クロッツとビルは、’91年に知り合って。それ以来、事務所にもよく遊びに行ってたんですけど、ある時、Excelのショーンが働いてたことがありましたよ。


Mei Yong アメリカのストリート業界の有名人は、FRESHJIVEで働いてたヤツが多いんですよ。覚えてるのは、Brooklyn Projectsでドムがダンに、超有名なヘヴィメタル・バンドの「〇〇〇〇を訴えろよ」って言ってたんですよね。「Enter the 〇〇〇〇はExcelからの提供だろ? あれはメガヒットなのに、一銭も金もらってないなんておかしい。何で金を取らないの?」、「あいつらは後輩だから。テープをあげただけだし、後輩からは金を取れないよ」って。そしたらドムが、「おまえ、何言ってんだよ。弁護士雇ってやるよ」って。その会話を、俺は横に立って聞いてたから、これはむちゃくちゃ面白いなと思って。でも、ダンはプライドが高いから、そんなんで訴えたらカッコ悪いって言って。あの時代に、あの場面に僕らがいたこと自体が、今の原動力だし、財産なんですよ。そういうことを経験できたことは、今振り返っても本当に良かったと思いますね。


'91年。大野がLAリバーで行ったFRESHJIVEの撮影。リック・クロッツとビル・ヘブナー

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左から、大野俊也、Mei Yong Photography: Ryusei Takano

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ニュートロン/Liberaiders

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