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【連載】Mei Yong(Liberaiders) × Toshiya Ohno Liberaidersの原点カリフォルニアについて語るスペシャル対談 VOL.2 付き合ってきたアメリカ人はみんな強烈なキャラ

Mei Yongと大野俊也が出会ったのは、2009年の東京。

北京出身のMei Yongは、大学生として来日し、大阪に住んだ後、東京へ拠点を移した。アメリカ・カリフォルニアのブランド、FUCT、FRESHJIVE、ENJOI、Fucking Awesomeなどの代理店を手がけ、2017年には自身のブランド「Liberaiders」をローンチ、現在は同ブランドのディレクターを務めている。

一方の大野俊也は、Fine、WARP、FLJなどの雑誌で編集長を歴任してきた編集者で、カリフォルニアのカルチャーを長い間日本に紹介してきた。

二人が初めて出会った時、共通のアメリカ人の友人があまりにも多いことに驚いて、すぐに意気投合をしたという。それ以来、二人の付き合いは公私ともに続いている。

Mei Yongが現在手がけているLiberaidersは、旅をテーマの一つとしているブランドだ。2026年AWコレクションで旅先に選ばれたのは、カリフォルニアのサンフランシスコ。そういうタイミングで、カリフォルニアに深い造詣を持つ二人が、これまでの経験や記憶を交えながら、カリフォルニアについて語ってみた。

シリーズでお届けする対談の第2回目は、カリフォルニアで出会った人たち、アメリカで感じた可能性について。



付き合ってきたアメリカ人はみんな強烈なキャラ


大野俊也 でも、今の話を聞いて思ったのは、話に登場するアメリカ人は、みんな強烈なんですよね。僕もそこは同じなんですけど(笑)。


Mei Yong カリフォルニアの人にも、「エリック、リック、enjoiのマット・エヴァーソールの三人と同時に付き合えるなんて、おまえも相当頭がおかしいだろ」って言われてるから(笑)。自分では思ってないんですよ。ちょうど僕がFUCTを辞める1年前に、エリックとかなりいろいろあって。毎日、企画やら何やらで喧嘩して。いつも夕方に大喧嘩して、家に帰るわけですよ。それで、嫁に言われて。「今日はこんな顔してどうした?」って。「またエリックとこんなことになって。俺、何でこんなわけわからんヤツばっかと付き合ってんの?」って。そしたらその時、嫁の一言で救われたんですよ。「自分、そういうの好きやん」って言われて。確かにと思って。ややこしいヤツは、俺の方が好きなんだって。俺はそういうのじゃないと気が済まないから。その日から気が楽になりましたね(笑)。それまで、マジで自分では思ってなかったんですよ。その人たちに対して俺は説得してたわけです。「あんたたち、これだけスゴいのに、何でそこまで上手くいかないの?」って。俺はやってあげようと思ってたけど、それは無理な相談なわけですよ。でも、自分がやらなきゃいけないと思っていて。みんなタメというのもあるしね。Dwindleの社長のボド・ボイルもそうだし。みんな同じ年生まれなんです。「もったいないよ。俺は日本にいるから、客観的におまえらのことを見れてるから、俺の意見を聞けよ」って言って。後から出てきたブランドは、みんなそこを上手くやってるだけで、才能はおまえらの方があるのにって。しかも、本人たちはいつも怒っているわけです。「俺、また(他のブランドに)パクられた」って。でも、そうじゃなくて、俺の言うことを聞いてちゃんとやってたら、パクられなくて済むよっていう話だから。あなたたちはもっと売れるはずだからって。


大野俊也 そういう気持ちがあったんですね。


Mei Yong 俺は特にそういう気持ちが強かったですね。大学の時からこのカルチャーをオンタイムで見てるから。大野さんはその前から見てると思いますけど、FRESHJIVEとかFUCTが出てきたのは、俺が大学で日本に来てから2年目なんですよ。大学生の時にオンタイムでその情報を探して、耳に入れてたわけで。それでやっと向こうで知り合って、同じ土台ではないけど、話ができるようになった時に、「俺、おまえのところの社員よりもわかってるよ」って。FUCTは一回、投資してる人たち全員と喧嘩になって、会社がヤバくなった時に、俺がそこの在庫を全部買ったことがあるんです。それは誰も知らないことで。俺が当時商社にいた時の話なんですけど、ジェイソンから、「商品の在庫がまだ3000枚ぐらいある」っていうのを聞いて。「いくらなら売ってくれる? 俺が全部買うから」って。商社にいたから、国内での卸先を知ってたんです。それで3000枚、全部買い取って。でも、エリックは俺に「ありがとう」って言ったことは一度もないんです(笑)。でも、当時のナンバー2は、「あの時おまえがいなかったら、FUCTはとっくに終わってた」って、いまだに言ってくれてるんです。面白いエピソードがあって、その買ったTシャツの中には、モザイクのTシャツがあったんですよ。モザイクなんだけど、距離を離れて見たら、×××にしか見えないもので。それを納品したら、問題になって。30~40枚あったんですが、結局、その商社に返品されてきたんです。そりゃそうだよね。いくらスケートショップでも、これはないだろって。今だったら大問題になるから、処分すればいいんだけど、商社の人たちからすると、とにかく商品は捨てられないわけです。そしたら、在庫のパートのおばちゃんたちに、全部タダであげてしまって。そこの倉庫は会社の近くにあるから、俺らもよく行ってたんですよ。おばちゃんたちは、みんなチャリンコに乗ってるんですけど、みんなそれを着てて。もう異様な風景でしたね(笑)。でも、俺は笑えないわけです。俺がやったことだから。近所のおばちゃんたちはタダだから、みんな着てるわけですよ。


大野俊也 それ、見たかったなあ(爆笑)。


Mei Yong あの時、写真を撮れば良かったけど……。全員だから!(笑) 一応、USA製のTシャツだからね。チャリンコに子供が前に一人、後ろに一人、座ってるんです。俺ってスゲエことをやってるなと思って。そういうことがありましたよ(笑)。


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カリフォルニアで覚えた仕事のスタイル


大野俊也 僕は初めて行ったカリフォルニアで、自分が好きなサーフスケート、ファッション、音楽、カルチャーのすべてがあるなと思って。しかも、海外の女性が好きだったので、こんなに可愛い子が多いのはヤバすぎるってなって(笑)。それに、最初からDOGTOWN、トランスワールドのフォトグラファー、ヴェニスのスケーターと知り合えたから、これはもっと行くしかないでしょと思って。2回目のLAはタイアップ取材で行ったんですけど、ちょうどASR(注:ボードスポーツとストリート系の合同展示会)をやってたので、それにも行こうってなったんですよ。日本からは三人で行って、僕が車を運転するんですけど、みんな日本食を食べたいってずっと言ってくるから、面倒くさいなと思って。僕はアメリカの食事を楽しみたかったんですよ。最初のLAで、編集長に連れて行ってもらったデニーズとか、ホットドッグとか、甘すぎるケーキとか、コーヒーのおかわりし放題とか、すべてに感動してたので(笑)。


Mei Yong わかりますよ。僕はいまだに古いダイナーに行きたいんですよね。あの味はどこにも作れないものだから。


大野俊也 それで、現地のフォトグラファーと撮影をやるようになって。宿泊もモンドリアン・ホテルとかに泊まることを覚えてしまって。スゴく生意気なんですけど(笑)。日本だとまだ下っ端だったから、編集長や先輩からフォトグラファーを指定されて、撮影の時も気を遣ってたんですけど、LAの撮影ではみんなでワインとか飲みながら、どんどん地元のカッコいいロケーションを顔パスで入って撮影をするから、日本でもこういうスタイルでやらなきゃって思ったんですよ。そこからは、東京でも、夜遊びで知り合ったヘアメイクの人とか、自分の好きなフォトグラファーとかにお願いするようになって。それが雑誌の楽しいムードにつながっていきましたね。それに、LAの人は仕事も遊びもとことんやるから、そこも自分には合ってるなと思って。どんどんLAにハマっていきました。最初はスケーターから始まり、クリスチャン・フレッチャーとかサーファーも取材して、アーヴァインにショーン・ステューシーを訪ねたりとかして。'91年頃になると、XLARGE、FRESHJIVEといったストリートウエアの最初の波が出てきて。その時にスゴく仲良くなったのが、FRESHJIVEのリック・クロッツなんですよ。リックはLAの新しいクラブ・カルチャーのシーンから出てきた新進気鋭で。同じ頃に、「URB」というLAのクラブカルチャー雑誌の編集長のレイモンド・ローカーとも知り合って。マーキス・ワイアット、マイク・メセックス、DJ PといったDJとも知り合ったし、ブラン・ニュー・ヘヴィーズのエンディアとか、ビースティ・ボーイズのマイク・Dとも知り合って。一方では、DJ YUTAKAがUNITED NATIONSというLAの伝説のヒップホップ・クラブを、アフリカ・イスラムとやっていて。LAのクラブ・シーンがめちゃくちゃ面白くて。そこでまた新しい展開が生まれていったんです。


メルローズでブラン・ニュー・ヘヴィーズを取材中の大野

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Mei Yong リックたちは当時キーパーソンだったからね。本当にカルチャーを作った人だと思う。


大野俊也 覚えているのは、FineにFRESHJIVEの記事が出た時に、リックが母校のアートスクールのOtis Parsonsに行って、その記事をみんなに見せてたんですよね。


Mei Yong リックは最初は、パーティのフライヤーのデザインで有名になったからね。そこには「JIVE」って書いてあって。ビル(ビル・ヘブナー)はリックのツレだったんですよ。二人で、Tシャツを作って売ろうぜってなって。クラブの前で売ったら、ドーンとTシャツが売れて。これはちょっと金儲けになるなってなったんです。ちょうどリックのお父さんがダウンタウンのサウス・オリーヴ・ストリートで工場を持ってて、そこはメキシコ人の社員ばかりだったんですよ。


大野俊也 メキシコ人のおばちゃんが、たくさん働いてましたね。


Mei Yong その工場は、リックのお父さんが経営してるところで。リックがお父さんに、「この小さい部屋を貸してくれ。俺はここでTシャツを作りたい」って言って。それがFRESHJIVEの始まりになったんです。そこから2~3年して、スゴく売れて、お父さんの会社の売り上げを超えちゃったんですよ。リックは変わり者で、朝4時から会社に入って、午後の3時には帰ってしまって。サーフィンをしに行くんですよ。朝行くと、よくその辺のホームレスと喧嘩してましたね。ホームレスは工場の窓を割ったりするから。それで、あいつはどつきあいの喧嘩をやるんです。たまに囲まれて逃げる時もあったけど。それがリックなんですよ。


FRESHJIVEの'90年代初頭のプロモ映像



行動力さえあれば何だってできる


大野俊也 同じ頃、僕はXLARGEとも仲良くなって。元々、DJ YUTAKAがハリウッドでやってたUNITED NATIONSというクラブに、ブレイクダンスをガンガンやってる兄弟がいて。唯一のアジア系だったから目立ってたんです。その二人というのは、ポール高橋と兄貴のドンだったんですよ。それである時ポールから、新しくオープンしたばかりの店で友達がバイトしてるから、チェックしてくれって言われて。それがX-LARGE STOREだったんです。その友達というのは、ビリー・ヴァルデスで。XLARGEをやっていたのは、イライ・ボナーズとアダム・シルヴァーマンの二人で。FUCTもその店に卸してたので、知ったんです。同時に、スケートマスター・テートっていう、当時LAで一番人気のDJがいて。どこのクラブでもDJをやってたし、THRASHERの『Skate Rock』シリーズにも曲を提供してたし、クリスチャン・ホソイと一緒に来日して、ライヴもやってるんですよ。彼の家がメルローズのど真ん中にあって。その家でトミー・ゲレロを紹介されたこともありました。そのテートの彼女に、アマンダというのがいて。パーティ・プロモーターをやってたので、彼女のヒップホップ・パーティ、Guatalindaにはよく行ってたんです。それである時、「私、今度マネージメント会社で新しいアーティストを手がけるから取材して」って言われたのが、サイプレス・ヒルとハウス・オブ・ペインだったんですよ。そうやってどんどん広がっていったから、こんな面白いことはないじゃんと思って。それよりも前から、'89年にDOGTOWNのスケーターたちがみんなN.W.Aを聴いてた時に、衝撃を受けたことがあって。「Fuck Tha Police」とか歌っちゃっていいの?と思って。ソッコーでレコード屋に行って、12インチを買いに行って、裏ジャケットを見たら、マネージャーの電話番号が載ってたので、電話してみたんですよ。そしたら取材できるよって言われて、アイス・キューブの電話番号を教えてもらって。サウスセントラルにあるアイス・キューブの家を訪ねて、取材ができたんですよ。


Mei Yong だから、大野さんの動きはハンパないんですよ。


大野俊也 あと、ASRにいた時に、Alvaチームのデイヴ・ダンカンから、「明日、ロングビーチでバッド・ブレインズのライヴがあるから、行った方がいいぞ」って言われて。前売りチケットは売り切れだったから、当日券を買うしかないなと思って。翌日、ボックスオフィスに行ったら、当日券もなくて。ちょうど取材の帰りで、フォトグラファーともう一人スタッフがいたから、ダメ元で、「日本から取材に来た」って言ったら、中に入れちゃって。オープニングがシック・オブ・イット・オール、Leewayで、バッド・ブレインズのライヴも最高で。Alvaチームにも会えて。「どうやって入れたんだ?」って言うから、こうやって入ったんだよって言ったら、「じゃあそのノリで、バックステージにも行っちゃおうぜ」ってなって。バッド・ブレインズのDr. Knowに取材もできちゃったんですよ。その辺りから、行動力さえあれば何だってできるんだなと思ったんです。


'91年、大野がアマンダの依頼で取材・撮影したサイプレス・ヒル

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アメリカで感じた可能性


Mei Yong 俺もアメリカに行くまでは、青春時代を日本で過ごしてるわけじゃないですか。アメリカに行き始めてからスゴい感じたのは、この国では何でもできるなってことで。何でもありだなって思えたんです。


大野俊也 日本では、「それはできない」ってまず言われますからね。


Mei Yong 日本で常識的にできないことでも、アメリカではやろうとさえ思ったら大概のことはできる。それで、もう一つ感じてるのは、僕は大陸の出身だし、やっぱり大陸の方が合うよなってことなんです。大陸って大ざっぱなんですよ。アメリカも中国も、大陸じゃないですか。だから物を送る時も、指定日なんかないんです。大体このぐらいで届いたら、成功なわけだから。日本に来た時に、「午後何時指定」とか、何で?と思って。ここまでやったら、しんどくない?って。でも、アメリカに行ったら、そういうところは気楽なんですよ。その時はすでに日本に慣れてたから、向こうに行って、大陸のこのルーズな感じが、自分みたいなルーズなヤツには合ってるなって、スゴい思いましたよ(笑)。


大野俊也 僕も日本ではよく怒られたし、変なヤツだと思われたけど、アメリカに行ったら面白がられたんです。それでアメリカによく行くようになると、日本とアメリカとで自分のキャラがちょっと違ってきたから、二重人格みたいになっちゃって(笑)。


Mei Yong でも、それはわかるな。今、俺がブランドで「旅をしよう」って言ってるのはそこの部分だから。国によって、程度って違うんですよ。それはいくらYouTubeを観ても、映画を観ても、感じないところで。実際にそこの人たちとべったり付き合ってみると、ここで日本人みたいな考え方でやったら上手くいかないっていうのがわかってくるんです。普通は、日本の基準で判断するじゃないですか。「あの人にメールを送っても、すぐに返ってこない」とかさ。でも、向こうでは普通だから。逆に、向こうはすぐに返すと、引かれちゃったりするから(笑)。


Mei Yongとショーン・ステューシー

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