以来49年にわたり、マニューバーラインは「世界から本物と呼べるものだけを日本へ」というポリシーのもと、サーフィン、スノーボード、スケートボードを中心としたアクションスポーツ・カルチャーを日本に紹介し続けてきた。さらに近年では、アパレル、アウトドア、ゴルフ、フィッシングへと領域を広げながら、時代ごとに「今、本当にカッコいいもの」を届け続けている。
そんなマニューバーライン、2026年4月、新たな動きがあった。平林彰氏が代表取締役社長に就任したのだ。平林氏はアクションスポーツのシーンに深く関わり続け、ジャンルや世代、国境を越えて人とカルチャーをつなげてきた人物。サーフ、スノー、スケート、ストリート……そのすべてに対する深い愛情と現場感覚を持つ平林氏の就任は、これからのシーンにとって大きな意味を持つ出来事だと言える。
そして今回、その平林氏のもとに4人が集まった。
T.J BRAND、AFDICEGEARなどのブランドやTENJIN BANKED SLALOMを手がける、サーファー、スノーボーダーの西田洋介。
俳優、サーファー、ラッパー、映像監督として、独自の表現を続ける眞木蔵人。
蔵人の弟で、現在は沖縄を拠点に活動し、Oceans Mercantileのオーナーも務める、プロサーファーの眞木勇人。
そして、広告、グラフィック、映像など多彩な領域で活躍するInfluenza Gogoのアートディレクター、佐野公康。
「これまでの恩返しをしたい」……そんな思いから今回のスペシャル対談が実現した。
平林彰氏と4人が語るのは、カルチャー、人とのつながり、そして、これからの時代について。
Fine、WARP、FLJの編集長を歴任してきた大野俊也が聞き手となった。
左から、佐野公康、西田洋介、眞木蔵人、平林彰、眞木勇人、大野俊也
Photography: Jesse Kojima
平林さんとの出会い
SiiiCK みなさんの平林さんとの最初の出会いを聞かせてください。
眞木蔵人 ぶっちゃけ俺、マニューバーラインって、フォーム屋さんだと思ってたんですよ。平林さんのことは、サーフボードの核となるクラークフォーム(※老舗のサーフボード原材料ブランド。現在はU.Sブランクス)を売ってる、スゴいところの人だと思ってて。そこの人がサーフリーシュ、ボードケース、スケートデッキにシューズやアパレルを売ってたりするし、とにかく平林さんのインパクトの方が強すぎて、「この人、何なの? よくわからない」ってなって(笑)。俺は当時サポートされてたEmericaを履いていれば、多少ながらも小遣いが出たりもしたんだけど、自分の中ではそれ以上に、もっと平林さんに食い込みたいなというのが、当時からあって。金をふんだくるようなスポンサーではないんですよ。一緒に成長していく感じもあるし、弱さも見せてくれるし。俺はサーフィン、スケートボード、スノーボードも含めて、自分のいる業界は最高だと思ってたから、その中の人が、「今、時代はこうなっててさ。こういうのは売れないんだよ」って言うから、「えーーっ?!」みたいな。平林さんを通じて、世界のイケてるブランドを見させてもらったし、「蔵人くん、こういうイメージがあるから、ちょっと履いてみて」とか「こういうのでサポートできるかな」って言ってくれてたけど、今思うと、そこは平林さんの本心だったのかなって?(笑) 今、マニューバーラインが平林ラインに変わった時に、今までが現在のここを見据えた動きではないんだろうけど、必然的にここに来たというか。このパイプはずっとつながってて。「ああ、平林さんね!」ってなるんですよ。そこのニュートラル感っていうのは、当時からの俺の印象のまんまなんですよね。
平林彰 蔵人くんは本当にちょっとしたことでも常に連絡をしてくれるし、お互いやり取りできる関係性が昔も今も変わらずあるんです。ビジネス的なところじゃなくても、そういう関係性でいられるのが、僕はうれしいですね。


眞木勇人 平林さんとの出会いは、はっきりとは覚えてないですけど、たぶんインタースタイル(※今はなき国内最大のアクションスポーツ総合展示会)ですね。
平林彰 その時には蔵人くんとの付き合いはすでにあって、弟の勇人くんのことももちろん知ってて。コンテストではないフリーサーファーで、ビッグウェイバーのイメージで、ルックスもカッコ良くて。当時僕がやってたSUPRAで、カッコいいアスリートとかアーティストをサポートしたいという思いがあったので、その中でサーファー代表としてサポートの話をしたのが最初かな。
眞木蔵人 俺からしたら、SUPRAは勇人のイメージじゃなかったもん。だけどそこで平林さんとくっついたというのは、やっぱり平林さんの人徳があったからで。勇人もそういうところでは一本気だから、SUPRAと向き合ってるというよりは、平林さんと向き合ってるんだなと思って。ただ、「SUPRA、勇人はどうかね?」って、俺はずっと思ってたから(笑)。「あいつ、靴が歩いてるみたいになるんじゃないかな?」って(笑)。
一同 爆笑
眞木勇人 SUPRAは斬新だったし、ああいう形の靴ってなかったでしょ。新鮮でカッコいいと思ってたから、スゴいありがたかったですね。
平林彰 勇人くんとは、個人的に一緒に飲み行ったりとかも多かったんですよ。勇人くんの話をいろいろ聞くのも好きで。ちょっと特別な感じは、二人の中であったのかな。
眞木蔵人 それを二人で構築したんでしょ。俺も途中でジェラった(笑)。俺よりも靴が届いてるなあって。玄関が靴だらけだったから(笑)。
一同 爆笑
眞木勇人 娘を連れて会社に行った時は、娘の分まで靴をいただきましたよね。家族ぐるみでお世話になりました。
眞木勇人(右)。プロフリースタイルモトクロスライダーの渡辺元樹とともに。2016年のFLJ “SUPRA 10TH ANNIVERSARY ISSUE”より

様々なジャンルの人たちとのフラットな交流
SiiiCK 当時のSUPRAがサポートしたアーティストやアスリートたちって、それこそあらゆるジャンルの人たちが集まっていましたよね。そこがミックスしているバランス感は絶妙だったと思います。
佐野公康 スゴいフラットにみんなと付き合ってるイメージがありましたね。
西田洋介 僕が平林さんと親しくなったのは、まずは親友の蔵人のEmericaをパクるところから入って。気づいたら俺が履いてるっていう(笑)。僕らは当時インタースタイルの時に、展示会とセットで、TWELVE VIBESっていうパーティをやってて。毎年のようにサポートしていただいたんですよ。平林さんのキャラがとにかくスゴくて、スノーの方にもそれは轟いてたんです。’90年代にキラキラした場所に行くと、必ず大御所のごとく昔からいた人なので、顔はけっこう前から知ってましたね。マニューバーラインと言えば、この業界を牽引してきたカンパニーの一つなので、「スゴい人がいるんだな」と思って。サーフ、スケート、スノー、ストリート、いろんなジャンルで交友関係を持った人なので、本当に尊敬してますね。僕らは『JOURNEYS』というトリップの映像作品を作ったんですけど、それを誰に販売してもらおうかってなった時に、平林さんがいいなという話になって。そこで販売してもらうことになったのが、20年近く前のことですね。
左から、西田洋介、プロスノーボーダー兼TONED TROUTディレクターの福山正和、平林氏、POLeRアンバサダーのプロサーファー宮坂麻衣子

平林彰 西田くんとは、プライベートで海で会ったりとかもするんですよ。鹿島の海でも会うし、現場でも会うし、ビジネスでも会うし。個人的な相談をしたこともありましたね。もちろんAFD ICEGEARというブランドも、昔から知ってました。30年以上前から時が経つにつれて、より密な関係になって、今に至るという関係性ですね。
西田洋介 5年ぐらい前に、久々に海で会ったんですよ。コロナ過で世の中の状況が変わってきくらいの時で。その際に、「SUPRAが海外でブランドが終了してしまって、実は今、POLeRっていうブランドを新たにやってるんだよ。今までサーフィン、スケート、スノー、ストリートのビジネスに関わってきたけど、これは俺の集大成になりそうなんだ」という熱い話をされて。「ちょっと待ってください。俺らも恩返しをしないとヤバいから、できることはやらせてくださいよ」って言って。そういうところから少しずつ始まっていって、僕も平林さんのバックアップにこのメンバーを集めたかったんですよ。今やPOLeRを超えて、マニューバーラインの社長ですからね。
眞木蔵人 だからもう最初からブランドは関係ないから! たまたまPOLeRなだけで(笑)。俺はいまだにそこが腑に落ちない。今日、ここでも(笑)。

西田洋介 やっぱり人なんですよ。それでPOLeRとAFDICEGEARでコラボもやって、これからはさらにみんなを交えて、何かできないかという話をして。
眞木蔵人 俺らでスノーラインを作ってて、今度はトラベルライン、サーフラインみたいなものをやれればなっていう話になって。
佐野公康 今日はそういう集まりなんですよ。
平林彰 佐野さんとは一番長いですよね。
佐野公康 マニューバーラインは昔からいろんなブランドがあるんですけど、その広告を僕たちの事務所が作ってたんですよ。
平林彰 元々、当時の広告代理店にお願いしていた仕事のデザインをすべて佐野さんのInfluenza Gogoがやってくれてたんですよ。海外からもらった広告用フィルムを、ちょっと日本の感じにアレンジしてもらったりとかですね。
眞木蔵人 一番最初は何のデザイン?
佐野公康 Astro DeckとかPipeline、Free Style SHARKとかかな。海外のビジュアルが日本に合ってなかったんですよ。そういうのはいっぱいあって、日本でこういう感じにやりましょうというのを出すと、担当窓口は平林さんだったんです。

平林彰 35年以上前ですかね。当時、俺はプレスの仕事もしてたので。
佐野公康 それこそ蔵人と一緒で。マニューバーラインと付き合ってるんじゃなくて、平林さんと付き合ってるという感覚の方が強かった(笑)。
平林彰 うちの会社はデザイナーがいなかったので、カタログのデザインとかをやってもらってたんです。各ブランドごとに僕らがリクエストして、海外のネタと日本のネタをミックスしてくれたのは、全部佐野さんなんですよ。’90年代初頭からの付き合いですけど、会って直接ビジネスの話をする機会はそんなになかったんですよね。結局、当時の広告代理店を通しての話だったので。でも、本当にいろんな現場で会うんですよ。何年か前にはBAD HOPのライヴの時にもバッタリ会いましたね(笑)。
佐野公康 現場に行くと必ずいるんですよ。大野さんもそうですけど(笑)。それで、さっき話に出た『JOURNEYS』のムービーを作った時も、平林さんのところに頼もうという話になって。そこでもマニューバーラインというよりは、平林さんというキーワードが主軸で出てきたんです。平林さんがどんなアーティストに対しても、フラットに同じような感じで付き合ってるところを見てたから。今回、平林さんが社長になったので、何か俺たちにもまだできることがあるんじゃないかということで、このメンツが集まったんです。

マニューバーラインに入社した経緯
SiiiCK 平林さんが最初にマニューバーラインに入社した経緯も聞きたいですね。
平林彰 16歳の時に始めたサーフィンにどっぷりハマって、そこから僕と同い年のマット・アーチボルドにずっと憧れてたんですよ。Lantyのウェットスーツを着たり、Town & Countryの板に乗ったり、GOTCHAのウエアを着て、フルコピーしてたんです。そのぐらいサーフィンが好きだったけど、上手くなるセンスの方はないなって、途中でコンペは挫折して。そこからはサーフ系ギアブランドのことがスゴく気になり始めて、サーフィン業界に興味を持ったんです。ハービー・フレッチャーさんが開発したAstro Deckには息子のクリスチャン・フレッチャーやマート・アーチボルト、マーティン・ポッターがライダーにいて、彼らのシグネチャーモデルがリリースされているんだとか、海外のサーフブランドがどういうルートで日本に入ってくるのかというのにも、スゴく興味があって。海外のも、日本のも、当時サーフ専門誌ばかり見てて。そこでマニューバーラインを見つけて。もうサーフィンが上手くならないなら、裏方としてこの業界で仕事をしたいと思ったんです。それで、専門学校の学生の時に、飛び込みでマニューバーラインに連絡して、ファウンダーの川崎さん(川崎正秀)に直接面接してもらいました。
マニューバーラインに入社してすぐの'90年代前半の平林氏

当時マニューバーラインが取り扱ってたブランドは、全部頭に入ってたから、川崎さんが「君、よく知ってるね」って言ってくださって。それで’89年4月に、20歳で東京所に入社したという感じです。とにかく10代後半では、当時のASP(※当時のトップサーフリーグ。現在のWorld Surf Leage)トップ選手のランキングも頭に入ってたし、そのライダーがどこのボードを使用してて、どこのウェットスーツを着用してて、どこのアパレルスポンサーで、どんなステッカーの貼り方してたのかも、全部知ってました。今でも’80年代後半から’90年代のプロサーファーは写真を見れば、名前と当時のスポンサーが言えます。完全にオタクですよね(笑)。新しいサーフ系ブランドを見つけると、すでに日本に流通しているのか、まだ流通していないのかなど、会社に入る前からいつもそんなことばかり考えてました。それが功を奏して、入社してからも新しいブランドの発掘に関われる仕事をさせてもらったというのが、僕の20代ですね。例えば、ON A MISSIONにしても、テイラー・スティールがビデオ『Momentum』を出して、ものスゴい勢いでビデオスターを作り上げてた時で。flowのゆきさんが僕のところに、「テイラー・スティールがサーフギアブランドをやりたがってるんだけど、興味ある?」という話をもらって、すぐに会社に相談して、「当時のニュースクールと言われていたあのメンツがブランドを始めたら、間違いなくヒットするはずです」って、会社での展開がスタートしました。そういうコネクションや情報網は、ずっとサーフィンが好きだったことが役に立ったかもしれませんね。
SiiiCK 最近では、SUPRA、POLeRというブランドを、独自のブランディングで日本で展開されていましたよね。サーフ系以降はどのようなブランドを手がけてきたのですか?
平林彰 24~25歳から30代、40代は、スノーボード、スケートボードのビジネスにも深く関わらせてもらいました。現在でも会社の核となっている、THIRTYTWOブランドとの日本総代理店の権利を取れたのは会社として大きかったですね。権利を取るのに何度も渡米して、セールスプランやマーケティングプランを持って商談しました。
20代の平林氏。THIRTYTWOを始めた頃

éS、Emerica、etniesといったスケートボードシューズも海外では同じ会社が扱うブランドだったので、シューズの日本総代理店の権利も取って、そこからスケートボードのビジネスも大きく展開しましたし、今でも弊社のメイン商材ですね。THIRTYTWOスノーボードブーツは、ライダーがPlanet Earthのスノーボードウエアを着てたり、IRISのゴーグルを着けてたり、ライダーが使ってるものがかぶることが多かったので、タイアップしてるブランドは極力うちの会社で取り扱いができるような環境は作ってましたね。今で言うブランディングみたいなことは、当時から好きだったと思います。

西田洋介 IRISもそうなんですね。
平林彰 IRISはOptionからの紹介ですね。そこからShorty'sのスノーボードもやりました。どこかのブランドとつながると、誰かがまた別のブランドを紹介してくれて、ライダーもいるからというので、どんどん広がって成長していった感じです。カッコいいブランド、本物のブランド、そこだけは、特にスゴく大事にしてましたね。自分が自信を持って供給できるようなブランドでなければ、弊社では取り扱いしないと思ってたので。その思いは今でもブレてなくて。ビジネスのスタイルは若干変わっても、本物だけをというところの部分は、今でもスピリットを持ってやってるつもりではいます。

【後編】に続く
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