’90年代にダンサーとしてキャリアをスタートし、2000年代に入るとDJとして本格的に活動を開始。ヒップホップ、エレクトロ、ハウス、テクノといったジャンルを自在に横断し、DEXPISTOLSの一人としてTOKYOエレクトロ・ムーブメントを牽引。2007年のFUJI ROCK FESTIVALのRED MARQUEEでのプレイは今も語り継がれる伝説となっている。
音楽活動のみならず、ファッションの分野でもROC STAR、CREPEMAN、FULL-BKといったブランドを手がけ、ストリートに独自の美学を提示。
現在はLDH JAPANに所属し、PKCZ®のメンバーとして活動する一方で、同所属の若手グループを中心にプロデュースやディレクションを数多く手がけ、メジャーからアンダーグラウンドまで自由に行き来するその姿は、世代を超えて支持され続けている。
そして2025年、DJ DARUMAは50歳という節目を迎える。11月29日には、そのキャリアと人生を仲間たちとともに祝う特別なイベント『TECHNO / RAP / TOKYO / POWER - DJ DARUMA 50th BD BASH -』が開催される予定だ。
後編では、エレクトロのムーブメント、LDH JAPANに所属してから現在に至るまでの話、そして11月29日のイベントについて語ってもらう。
エレクトロ・ムーブメントの到来
SiiiCK ROC STARの次はどういう動きをしていったんですか?
DARUMA 先ほどの話通り、ROC STARは最初めちゃくちゃ売れたんですけど、しばらくすると売れなくなっていくんです。金額的には、今思えばその停滞期も売れているんですけど、最初の勢いがそれほどなくなったなと感じて、どうしたものかなと思って。かと言って、自分で作るものに対してそんなに納得できてるわけでもないし。そういう時期を過ごしていく中でも、パーティの現場には引き続きずっと行ってたんですよ。WIRE(アリーナ規模で毎年夏に開催されていたテクノフェス)には、初年度以外は全部行ってたんですけど、何年目かのWIREでジェフ・ミルズのDJでフロアで踊ってる時に、いつまでもフロア側にいるんじゃなくて、DJをやっているんだったらあっち側(DJブース側)にいなきゃダメだなって思ったんですよ。それと同時ぐらいのタイミングで、僕はDJをそれなりにちゃんとやってるつもりではいたんですけど、「「あれでしょ、DARUMAってデザイナーがやってるDJでしょ」みたいな感じで、バカにされてたよ」という話を聞いたんですよ。スゴく悔しいなと思ったタイミングと、あっち側に行かなきゃって思ったあの夜が、ほぼ同時期だったんです。で、あっち側に行くにはどうしたらいいかって考えた時に、自分は文脈的に物事を考えるのは得意だと思ってたから、トレンドをちゃんとキャッチして、その波にしっかり乗るタイミングさえつかめれば、壁を越えられるなと思ったんです。当時の日本のシーンって、情報伝達のラグによってヨーロッパ、アメリカから少しだけ遅れて流行るというのが、何度も繰り返されてることが明確だったので。それを意識して世の中に発信していくことを考えた時に、世の中ではマッシュアップ・カルチャーが、少しずつ面白いという風になっていったんですよ。2005、2006年ぐらいに2manydjsが出てきて。それ以前も、CISCOとかに行くと、例えばクラッシュの曲「Rock The Casbah」をハウスと混ぜたようなマッシュアップ・レコードみたいなものがいっぱい出てきていて。違う文化を混ぜるのが面白いという空気感が出来上がっていたんです。一番デカかったのは、Soulwaxのディワーラ兄弟が出てきて、2manydjsのミックスCDが出てきた時ですね。それまでは、例えば、プログレッシヴ・ハウスとかエピック・トランスとか、ジャンルでセグメントするというのが、 世界中のフロアで行われていたことなんですよ。テクノの人はテクノのパーティにしか行かない。ヒップホップの人はヒップホップのパーティにしか行かない。そういうのが当たり前だったんです。そういう中で2manydjsのVOL 2のミックスCDを聴いた時に、かなり衝撃を受けて。でも、よくよく考えたら中学校の時って、バンドをやりながらヒップホップも聴いていたし、ボン・ジョヴィもジュリアナ東京のハードコア・テクノも聴いていたんですよね。ヒップホップに集中していく前段階、中学校の時に全部ごちゃ混ぜに聴いていた、あの感覚に近いなと思って。これは確かにフレッシュかもしれないなと。その時、今これだけジャンルに凝り固まっている中、そのジャンルの壁を全部取っ払うって、文化としてめちゃくちゃ新しいなと思って。そのマッシュアップを日本でやってます!ってなったら、けっこう注目してもらえるんじゃないかと思ったんです。まずはそれで少しシーンに認知された感じですね。でもその時は、まだエレクトロの波ではないんですけど。
エレクトロ初期はまだレコードでプレイしていた

ビッグビート期に最初に衝撃を受けたコンピレーションCD

SiiiCK stylesから出したミックスCDが注目されるようになったのは、そのあたりの時期ですか?
DARUMA その前までは『DARUMANIA』というシリーズを、個人でブートで出してたんですよ。マッシュアップの概念を使えば、何でも無尽蔵に量産できちゃうじゃないですか。それまで掘っていた過去のものも勉強として掘り返していたので、『スネークマンショー』の一節を使ってみたりとか、『仁義なき戦い』の「テレレ~」の後にプロディジーをかけたりとか。そういうミックスCDを作っていたんです。そしたら、それを聴いたstylesの宮本くんが、「オフィシャルでstylesのミックスCDを作ってくれませんか」って声をかけてくれたんですよ。それは確か東芝EMIから出すことになったもので。それがきっかけでWARPで取材してもらったのが、イトゥー(伊藤啓祐)との出会いですね。そこから、今度はMySpaceとかmixiとか、SNSの走りみたいなのが出てくるじゃないですか。そのMySpaceを何となく見てた時に、ジャスティスの「We Are Your Friends」が出てきて。今思えばパリのSocial Clubなんですけど、フロアで若者たちがめちゃくちゃ熱唱していて、ロックとかの格好でダンスしてるのを見た時に、これはスゴいなと思って。その頃はすでにプロディジーから何年も経っていたので、ロックとダンスミュージックがきれいに混ざった、また新しいものが出てきてるなと思って。「気づいちゃったよ!」と思ったんですね(笑)。さらに紐解くと、パリにはペドロ率いるEd Banger Recordsや、マサヤ氏(黒木理也)とジルダ氏のKitsunéがいるし、オーストラリアにはModularがある。これは何か新しいことが始まっているんじゃないかと思って。でも実はジャスティスには、その前に触れてるタイミングがあって。渋谷のLA FABRIQUEでBoogie Nightsというイベントを、主催の一人として運営とDJをしていて、そこの店長だかオーナーのフランス人の方が、「海外からアーティストが来てて、DJしたいって言ってるんだけど、飛び入りでやらせてくれない?」って言うので、「いいよ。1時間パスする」って。そしたらそれが2manydjsのお兄ちゃんとトレヴァー・ジャクソンと、まだツアーマネージャーだったペドロだったんですよ。で、ペドロがめっちゃノイジーなダンスミュージックをかけていて、「何だ、この音楽?」って思ったのが、ジャスティスの「Waters of Nazareth」だったんです。それがインターネット上で明確なビジュアルとして、若者たちが盛り上がってるのを目撃した時に、コレだ!と思ったんですよね。
Justice - Waters Of Nazareth
まだ名前もなかったけど、この得体の知れない新たな若者文化の日本代表になれるかもしれないから、ここの文脈をとにかく攻め続けて、手を挙げ続けようと思って、まだ名前もないエレクトロ的な文化についてワーワー言ってたら、WARPのイトゥーも面白いとアンテナが働いたみたいで。で、そのタイミングでイトゥーに「今から情報がめっちゃ入ってくるから、これをアウトプットする誌面が欲しい」、「連載をやらせてほしい」と頼んで。まだ得体が知れなかったエレクトロ的な何かを伝えるために、WARPで「ROC STAR CULTURE CLUB」の連載が始まったんです。その時に、ちょうどクラクソンズが雑誌NMEで「ニューレイヴ」って言ってたから、「まだ名前がないけど、これ、ニューレイヴって言うことにしたのかな?」と思ってたんですよ。そしたら、DIGITAL JUNKEEZが秋葉原でエレクトロ・サウンドでダンスしてるYouTubeを観たKitsunéのマサヤくんが、「日本で一緒にこのカルチャー(エレクトロ)を進めるんだったら、こいつだろうな」と思ったらしくて、MySpaceで僕に連絡をくれたんです。僕としては、「Kitsunéのマサヤから連絡が来た。ヤベェ」みたいになって。東京で一緒にパーティした後に、ちょうどダフト・パンクのツアーが彼らのお膝元のベルシーであったので、パリに行ったんですよ。そこでマサヤくん再びに会うことになって、パリでも東京でも頻繁に会うようになって。何回目かに会った時に、マサヤくんに「エレクトロでしょ」って言われたんですよ。「あ、エレクトロっていうことにしたんだ、これ」ってなって。WOMBのパーティで一緒になったスティーヴ・アオキ氏と話した時も、エレクトロというワードを明確に使っていたので、その頃から世界中が「この文化はエレクトロって言うことになりました!」ってなった感じがしたんです。
Kitsunéのマサヤ氏と。初めて東京で会った夜

SiiiCK 元々はフランス側からのフレンチ・エレクトロでしたよね。
DARUMA フレンチ・タッチの2.0みたいな感じだったんですよ。ダフト・バンクの初期の頃とかボブ・サンクラーとか、要はフィルター・ハウス文脈のフレンチ・タッチの土台があって。いつからかフレンチ・エレクトロって言うようになったんです。
SiiiCK 一方で、パーティのLINDAとか、THE LOWBROWSとかも出てきましたよね。
DARUMA THE LOWBROWSにはChaki Zuluがいて、あと、LINDAではYOSHIROTTENもDJとしてやってましたね。それで当時mixiとかを見て気がつくんですけど、この人たちも同じようなことを考えてやっているんだと思って。僕もChakiくんに会いたいと思って、MySpaceかmixiを通じて連絡を取って、センター街の入り口のカフェで待ち合わせして。「これさ、みんなで日本をまとめていけそうじゃない? 東京以外にもにも面白いDJがいっぱいいるし。この波を使ってやっていこうよ」みたいなことを話したのを覚えています。その辺から数年間、世界でシーンが大きなうねりになって、東京でオオスミくんやKIRIくんたちとの出会いにつながっていったり、数字的にはROC STARの売り上げが回復したりしました(笑)。
クラクソンズと

エロル・アルカンと

アトリエにミニ・スタジオを作り、楽曲制作を始めた頃

パリのSocial ClubでDJ

LDH JAPAN
SiiiCK 現在はLDH JAPANに所属していて、2023年10月にはクリエイティヴ・オフィサーに就任しましたよね。LDHのHIROとは昔からの付き合いですが、LDHに入ったのはPKCZ®がきっかけですか?
DARUMA 入社のきっかけはもちろんHIROさんに声をかけていただいたことなんですけど、ここにもちょっとしたストーリーがあって。ミックスエンジニアでD.O.I.さんという方がいらっしゃって、元々ヒップホップ・シーンの仕事をたくさんされていて、その後は現在もメジャーの仕事もたくさんしていて、LDHでも初期のEXILEの時代からスゴくお世話になってる方なんですね。おそらく16,7年ぐらい前にエレクトロがドカンと行ってる時ですけど、HIROさんがTDの確認でD.O.I.さんのスタジオに行ってた際に、D.O.I.さんはめちゃくちゃディガーで情報通なので、「最近、日本で面白いDJとかラッパーとかいますか?」って聞いた時に、「DEXPISTOLSっていう人たちがめっちゃ面白いですよ」って勧めてくれたらしいんですよ。HIROさんは、「このDARUMAって、NORIのことだな。あいつ、ちゃんとやってるんだ」って、その時に認識してくれたみたいなんです。もっと言うと、「DARUMA」って名前をつけてくれたのは、HIROさんとBOBBYくんなんですけど、お二人は忘れてるんです(笑)。それから何年かして、ひょんなタイミングで、飲みの席に呼んでいただいた時に、「最近、何やってるの?」って聞かれて、「DJをやったり、洋服を作ったりしてます」って言ったら、「うちの会社で仕事すればいいじゃん!」って言っていただいて。で、「そんなことになったら、めちゃくちゃありがたいです!」 というお話が何回かあって。当時のHIROさん周りのスタッフの方から、「先日からHIROさんが言っている、DARUMAさんのLDH入りの件なんですけど。昼間にミーティングして、是非進めさせていただきたいです」って言ってもらって。一番最初に、LDHの役員の方たちと面談した時に、「うちの会社に入ってもらって、何してくださいとは言わないので。周りを見渡して自分で仕事を見つけてドンドン動いてください!」って言われたんですよ。
SiiiCK それも面白いですね。
DARUMA で、とりあえず自分の興味のあることを知りたいと思って。LDHって当時、すでにドームやスタジアム規模のライブを数多くやっていたので、そういう規模のツアーがどうやって出来ていくのかを、細かい部分から知りたかったんです。だから、その翌年にあった「TOWER OF WISH ~願いの塔~」っていう、EXILEを中心としたツアーが出来ていく過程を勉強したいと思って、始まりの制作ミーティングから、「僕、端っこでいいんで座らせてもらっていいですか」って、HIROさんにお願いして。打ち合わせに参加させてもらって。そのツアーは全部自費で移動のチケットを取って、自分でホテルを取って、リハーサルとツアー本編をすべて一緒に回って。この規模のツアーはこうやって出来ていって、こういうスタッフの人がいて、こういう動きになるんだっていうのを、少しずつ自分で勉強していったんです。そのうちに、MAKIDAIが「NORIもDJで一緒に出れたらいいのにね」みたいな感じで言ってくれたのと同時ぐらいに、HIROさんから、「MAKIDAIとDARUMAとVERBALって同い年だよね」、「あ、そうです」、「パーティとかDJとかをプロデュースするチームを、俺もメンバーになるから、4人でやらない?」って言ってくれて。そこで、HIROさん、MAKIDAI、VERBALくん、DARUMAで、PKCZ®が始まっていくんです。ちょうど三代目(三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE)も「R.Y.U.S.E.I.」が出て、バコーンって行ったタイミングで。「PKCZ®も一緒に曲を作ってツアー回るのどう?」となり、ドームツアーを一緒に回るようになっていくところから、少しずつLDHの出役としての経歴が始まっていきましたね。
SiiiCK LDHでクリエイティヴ側の仕事が始まったきっかけは何だったんですか?
DARUMA 10年間ぐらい、それこそコロナ明けぐらいまでは、僕はLDHアパレルでファッションブランドの企画や運営はしつつも、基本的には演者として所属していたんですが、コロナ明けぐらいにiCON Zっていう、EXILE TRIBEの一番若い世代のオーディションが始まるタイミングで、HIROさんから「プロデュース側に回ってみない?」というお声がけをいただいて。でも僕、最初はお断りしてたんですよ。若手チームの長期プロデュースとかディレクションって、人生の一部をともにして隅々まで面倒を見ることじゃないですか。それは若者たちの人生の責任を持つという、とてつもなく大仕事だと思ったからです。でも、「適任だと思っている」と再度お声がけしていただいたので、「では、気合い入れてやってみます!」っていうところから、まずはWOLF HOWL HARMONYのプロデュース、ディレクションを始めました。WOLF HOWL HARMONYって、正直、テレビ番組の描かれ方的には、当初、視聴者の方たちから期待されていなかったんです。それが、WOLF HOWL HARMONYが番組上で一番ポイントを獲得して、デビューすることになったんですね。僕は裏側で、SNSはこういう見え方、曲はこういうの、ビジュアルはこういうのっていう風に細かい部分を全部コントロールして、これまでに自分自身をプロデュースしてきたディレクションのやり方をすべて注ぎ込んです。そしたら、そのデビューがめちゃくちゃ上手くいったんです。その流れを見てくれていたHIROさんを始め、LDHのスタッフの方たちが、「DARUMA、アーティストのディレクション、できるんだね」って少しだけなってくれたんだと思うんです。そこからちょっとずつお声がけしてもらえるようになって。マジでありがたいことに、HIROさんからも、「俺が軸になるから、このチームのクリエイティヴ、一緒にやろう」という流れで、社内の各所で新しい仕事が始まって。近年のLDHのクリエイティヴ・オフィサー職というところにつながっていくんです。
SiiiCK 最初は若い子たちの人生の面倒を見る責任を持てなくて断っていたわけですが、実際にやってみてどうですか?
DARUMA めっちゃ最高ですね。というのも、先ほども言ったように、あの子たちは全員マジで人生を賭けてアリーナ規模まで行きたい、ドームでやりたい、スタジアムでやりたいという夢やビジョンを持っているんです。その夢やビジョンをガチで一緒に追ったり、ステップアップしていく姿を近くで感じながら、時間をともにできることが本当に楽しいですし、こんなにありがたいことはないなと、心から思いますね。僕も先輩たちとのご縁があってここに存在できているワケわけですし、ここからは僕が持ってる知識と経験とスキルを生かして、彼ら、彼女らにそれを還元する番なんです。LDHは夢の循環、「Circle of Dreams」という理念を掲げているんですが、今の僕に照らし合わせると、’90年代から数多くの現場や、近年はドーム規模のライヴまで、本当に多くのステージ経験を経て、今後の人生のキャリアとして、LDHの様々なクリエイティヴやディレクションに裏方として関わり、どんどん形にしていく姿を後輩たちに見せることも “夢の循環” の一つの形だと思うんです。
WOLF HOWL HARMONY - BAKUON -爆音-
50歳を迎えるメモリアルイヤー
SiiiCK 今度、50歳を迎えるイベント『TECHNO / RAP / TOKYO / POWER - DJ DARUMA 50th BD BASH -』が開催されるわけですが、一言で言うと、どのようなイベントになりますか?
DARUMA 様々なお仕事をさせていただきつつも、僕のルーツはストリートにあることと、その現場へのリスペクトと感謝はずっと持っているんです。で、まず先輩は先輩としてしっかりと敬うんですけども、若いラッパーの子たちや、DJの子たちのことを、僕はあまり “後輩” っていう感覚では接してなくて、年の離れた友達っていう感覚でいるんです。向こうがどう思ってるかは知らないですけど(笑)。だから、先輩と友達にたくさん集まってやってもらえるパーティになります。実は、BIMとkZmと僕で年に何回か集まって、人生とヒップホップについていろいろ話しながら飯を食う会があるんですけど、去年の年末に彼らがうちに来た時に、「俺、来年50なんだよね」って言ったんですよ。僕の印象では、BIMとkZmが「パーティやりましょう」って言ってくれたと思ってたんですけど、僕も妻のTOKOも酔っ払っていて。どうやらTOKOから、「二人が出て一緒にパーティやんなさいよ」って言われたから、パーティをやることになりましたって、BIMとkZmは言ってるんですよ(笑)。でも、あの二人は10年以上も友達だし、快くやりましょうと言ってくれてますね。あとプラス、エレクトロ時代からの親友で、ここ10年くらいは、それこそLDHでも数多くの仕事を一緒にしてるChaki Zuluが、現場から身を引いているにも関わらず、特別にライヴセットを披露してくれるんですよ。
SiiiCK そこも熱いですね。
DARUMA フィットしない部分を無理に合わせることはしませんが、僕は持続できる限り、少しでも日本、特に東京のクラブシーンやストリートの現行の現場感覚とLDHをつなぐ橋渡しを、仕事の一つとして積極的にしていきます。僕自身はもちろん、LDHで言えばEXILEのみなさんも、元々はそこから出てきたチームじゃないですか。現行の現場を作ってる若者たちのクリエイティヴ力や発想力が、LDHの次世代のアーティストにとっても、大きな価値のあるものの一つだと考えているんです。各仕事や現場を通して、LDHの強いクリエイティヴを、引き続き細かい部分から作っていきたいですし、ここからの10年間は、様々な場面で本当に真摯に恩返しをしていくべきだと思っているので、一つでも多く具体的に実践していくつもりです。

TECHNO / RAP / TOKYO / POWER - DJ DARUMA 50th BD BASH -

2025年11月29日(土) 23:30 OPEN START
会場:duo Music Exchange + 東間屋
料金:前売チケット 3,000円 +1D (700円)/ 当日 3,500円 + 1D (700円)
出演:
【duo Music Exchange】
◾️Shot Live
BIM / Chaki Zulu (Self Remix Set) / kZm
--シークレットゲスト解禁--
JP THE WAVY (Shot Live)
WOLF HOWL HARMONY (Shot Live)
+
ALAN SHIRAHAMA (DJ)
◾️DJ (A to Z)
CYBERHACKSYSTEM / DJ DARUMA & JOMMY / GAMEMASTER KN / KENTACATS × KZMT / Licaxxx / MARZY
【東間屋】
◾️DJ (A to Z)
DJ KANGO × DJ YAN (B2B Set) / HW BINGO / MAGARA (Masterpiece Sound) / MATT (TRIPSTER) / TAISHI HITOMI / TOKO / YOPPI
Flyer Design / GUCCIMAZE & DJ DARUMA
主催:TRIBALCON.
企画・制作:TRIBALCON.
協力:AlphaTheta株式会社 / duo Music Exchange / 東間屋 / LDH JAPAN
前売チケット
URL:https://tribalcon.zaiko.io/e/techno-rap-tokyo-power
問合せ:https://tribalcon.co.jp/contact-event
DJ DARUMA
プロフィール: https://www.ldh.co.jp/management/dj_daruma/
Instagram: @djdaruma
SiiiCK Official
0件